見出し画像


何ひとつ思い浮かばない時は、
何とかなると言ったとて。

なので、
何にもならない、とか何とか言ってみます。

あぁどうやら、

この手には何もない。

と、いうものをしっかりと、
握りしめていたようです。


そして、これからも、
こんなもの、なんにもならんっちゃ

というものだけが、

そこに、ありました。


あぁ何だ。

なんにも出来ない。

その能力だけが、
埋め込まれた細胞のみで、

私は出来ているようです。


どうしようもねぇ
と言わんばかりに、

それは、
とても、とても、

不細工でした。


はてさて、

それは、一体、何故なのでしょう。









何故、こないにも、







文章が、美しくないのでしょう。















多分ですが、それは、


圧倒的な、ちょん、


の、せいです。




のせいです

その
のせいです。









あってもなくてもいい、

ただのちょん。

どこにつけても、
まぁまぁおかしくないけれど、

良かれと思ってした事に限って、
ありがた迷惑なものです。

丸でもない、
点々でもないから、
大した意味などないと思います。

つまるところ、
発音という
英語の発音が難しいように、

点は、あるに越した事はない。

と、そう言われてしまうと、

越すのか、越さないのか、
多分、越した方がいいのだろうけど、
越さないことに関しては、
ないのか、あるのか、何なのか、
分からなくなってしまうから、

ふわっと、
どうでもいいところに、

ちょんと、

ちょん(、)を、

置いてみることにしました。

あぁ、何で、

何のためにもならない、

このちょんが、

文と文を、ありとあらゆる場所で、

それとそれを区切りながら、

物事に折り合いをつけながら、


幾度となく、
節目と節目を繋げていたことでしょう。








森の緑が赤くなって、
やがて枯れて、
木枯らしがふいて、
落ちてって、
禿げて、
雪降って、
樹氷と化して、
溶けて、
禿げはまた、
森の緑の、

その一本に、



なるのです。






恐らく、
不細工なのは、この手の内の、
匙加減ではありますが、

そうやって、ちょんは、
誰かしらを、
なんかしらを、
毎度、主張できるのです。


ありがたいなぁ。








ただ、このお話が、
一向に終わらないのは、
時に無邪気で、
時に身勝手な、
ちょんがあるから、です。







でも気づいたのは
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、









改行の


































その奥行きの方が、




























結局、ものいうみたいです。


oki

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?