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日本史1

今回は、日本史です。範囲は、明治時代。議会開設から日清戦争までです。少し鉄道の話が出てくるのですが、そこだけやたら長くなってしまうのは致し方ないことです。

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議会開設を求めた自由民権運動が高まり、政府は憲法制定、議会開設を決定した。第1回衆議院議員総選挙では、民党の議席が過半数を占めた。しかし、民党勢力内でも自由党と立憲改進党があり、自由党だけで過半数は取れず、自由党と立憲改進党の間で対立も起きていたため、議会において、民党が圧倒的に力を持っていたとは言えなかった。

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 立憲改進党は都市部の有力者の間で人気を集めた。一方、自由党は地方の豪農などの間で人気を集めた。当時、鉄道は都市部や、内陸部と港を結ぶ線(高崎線、東海道本線、東北本線、武豊線など)が主だった。そのため、都市部に人気がある立憲改進党は有利だった。政府は日本全国に(地方にも)鉄道網を発達させようとしていたが、予算が足りなかったため、民営企業が鉄道を建設、営業をしてよいという鉄道敷設法を制定した。その後、1906年、鉄道国有法によって、建設された民営の鉄道は国有化された。
 鉄道は、それまで船舶で運んでいたものを陸で運送する手段として、貨物輸送が多かったが、旅客列車も運行され、特急列車(当時は最急行という種別)や御召列車のような、豪華なものも運行された。国有化されたことで、軍事輸送も簡単に行うことができ、日清戦争では、山陽鉄道の終端駅であった広島(広島城)に大本営を設置し、明治天皇も鉄道で移動した。

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