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子供を「不幸」にしているのは誰か?

息子はホームスクール中ですが、
私が誰かに「(息子は)学校には行っていなくて、」と伝えると、悲しい顔をされる。
前向きに心穏やかに生活し、学び成長していることを伝えても、強がってるように思われる。本当は不幸なのに、意地を張っているとか自分に言い聞かせてるようだと勘違いされる。

不登校?ホームスクール?

我が家は学校に通う努力や交渉の過程を踏んだ上でのホームスクール選択だけれど、現在学校に通えないことは困っていない。
いくつもある選択肢の中から、今はホームスクールを選択している。つまり学校に行けないんじゃなくて、学校に行かないんだ。
だから「不登校」という言葉がしっくりこない。モヤモヤする。どうしても「登校したいのにできない子」「かわいそうな子」って思われてる気がするから。
息子は「学校に行かない」選択をしている。


ホームスクールをして良かったこと

毎日やりたいことをやっているから学びの質が良い!
やりたくてやったことは、繰り返さなくても頭に入っている。
時間も短くて済む。
時間が増えて、たくさんのことができる。

自分で納得して行動に移すことができるから、不安や混乱 ストレスがない。
学校で教わる時のように、もう出来るようになっていることを周りに合わせてやらなくて済むし、まだ出来ていないことを残して次の段階へ進められることもない。
周りの子供と比べて劣等感を感じることがなく、以前の自分と比べて自分の成長を喜ぶことができる。

学び方は多様なのに…

学校に合わない子供がいるのは当然だと思っている。
今までも、学校が変わらなければこの先も。

全ての子供に対して、教え方が一定で、
授業でも先生が期待したタイミングで期待した疑問を持ち、期待したタイミングで理解して反応し期待された解答をする、先生が教えたい内容よりもさらに先まで知りたくなったり疑問は持たず学習を終えられる子がいれば、楽しく学校に通えるんだろうな。
学校に通えている子は、先生に行動や頭の中までコントロールされることに耐える力のある子なんだと思う。
でも、それでいいのかな?学校はなんのため、誰のために行くの?
せっかく産まれ持った感受性や思考力を何年間も停止させてしまうなんてもったいない!

学校のシステムが今のままでは、学校に行くことが成長の妨げになる子は減らないだろう。

本当に不幸なのは、不登校を不幸だと考える社会の目

学校に行かなくても、しっかりと成長しているし 充実している。
それでも学校に行かないと→
大人になってから困る
勉強ができなくなる
進学に困る
就職に困る
社会性が身に付かない
社会に馴染めなくなる
ひきこもりになる
事件を起こす
というイメージが社会にはまだまだ強い。

息子の場合、学校に行ったほうが上記のようになりそう。システムがまったく合わない。

そして今何より息子は心身ともに元気だ。

つまり、学校に行っていないことは不幸ではないし、このまま成長していけば、「学校に行かないと不幸になる」が間違っていることも証明できると思っている。

本当に不幸なのは、不登校を不幸だと思ってしまう社会。
不登校児を不幸にするのはそういう社会の人達の目。
学校に行かないと不利益なことが起こるようになっている社会のシステムが本当に不幸。

学校に行かせようとするんじゃなくて、学校以外の選択があってどれを選択しても、みんなに進学や就職の機会が与えられていること。
不幸な社会を変えないといけない。

未来へつなぐ子供達のために。

#ホームスクール
#不登校



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