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対価

僕はよくPCや携帯の周辺機器、その中でも特にイヤホンと充電器をなくすか壊すかしてしまう。どちらも僕の雑な扱いのせいで起こってしまうのは重々承知で、でもそれでもなくすか壊すかしてしまう。これでもマシになった方だ。去年はしょっちゅう財布とか携帯を無くしていたが、今でそれらのいわゆる必需品をなくすことはなくなった。ものが有り余っているこの時代にこそ、ものを大事にしたいという意欲はあるのだ。ただ、まだ道半ばなのである。

ということで先日、イヤホンとiPhoneの充電器を買いに出かけた。イヤホンは二週間前くらいにすでに購入していたのだが念のためにもう一本、それもマイク機能がついたワンランク良さげのものが狙い。充電器は、百均で充電器の調子が良くなくなってきたのでちゃんとしたものが狙いだ。もう接続が悪くて充電されたりされなかったりというのがうんざりなのである。

電気屋に着くと気になるのはそれらのお値段。ポルトガルの物価ですから、日本と比べると安いはずなのだ。ただ、事実安くても、もっと安い値段を期待してしまう自分がいる。ポルトガルの値段に慣れすぎてしまったのだ。そりゃ1.5Lの水が6本で1.2€で買えてしまえば、充電器やイヤホンも5€くらいで買えるのではないかと、そんな甘い発想をしてしまう。実際にはやはり安くても10-20€程度のお金はかかってしまう。しまうというか、それ相応の値段なのだから文句をつけてもしょうがない。渋々お金を出す。まったく、この土地に来てから金銭感覚がおかしくなってしまった。なんでも実際よりも安く期待してしまうし、5€で買える服がないかなー、とか、そんな舐めきった期待をしてしまうから良くない。

ただ、そのような安くなるべく済ましたい自分がいることを理解しているから、価値のあるものにはそれ相応の対価を払われるべきだ、ということもわかっている。渋々とは言っているが、ちゃんとそれなりの価値があることを理解して、払っている。

ポルトの街の中心地に行くと、よく路上でパフォーマンスをしている人たちがいる。音楽系の人がほとんどだが、中にはダンスをする人たちもいる。今までの僕ならそれらの人たちにお金をあげるようなことはしなかった。だが今は違う。街中に流れる音楽で、ちょっと心が楽しくなっている自分がいることに気がつく。要するに、その人たちが、まあ勝手に提供しているとはいえ、少なくともその通りを歩く人たちに価値を提供していて、その価値を自分は受けて楽しませてもらっているのだ。そんなプラスの価値を受けたら、プラスの価値で返すのが世の情け。今の自分だから、楽しませてもらった分をお金で還元しようと、そんな気持ちになるのだ。

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そんなことを考えるようになってから、無料ダウンロードで聞けるようなアプリからは全て卒業した。それらも同様である。世の中に音楽で発信している人に対して、価値があると思って聞いているのなら、その感じた価値の分を払うべきである。だから自分の好きなアーティストの曲を聴くためにも、しっかりApple musicの会員になった。一番いいのはそのアーティストのCDを買うことだろうけど、それは日本に帰ってからやろうと思う。

倫理観っちゅうやつですね。

この世の中には、きっとまだその価値に対して十分に払われていないものがあるのだと思う。それに気がつくことは大事だし、どうやったら正当なやりとりができるのかというのも考えなくてはならないのかもしれない。

それも一つ、より良い世界に近づく一歩なのだろう。



まあとりあえず今日はこんな感じか。

今日からまた、毎日note再開だわな。

毎日note、つまりそれは毎日何かを考えること。

2019.11.17
おけいこさん

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