短編小説 『過ち』
この小説は前作の『なにから話そうかな』と『青春ホルダー』とリンクさせております。こちらはミステリー小説となっております。
読了目安時間:20〜25分程度
【あらすじ】
連続通り魔事件の犯人は誰か。
耕一は刑事として連続通り魔事件の捜査に関わる。スキーサークルの忘年会でのある発言がキッカケで事件が動く。
12月26日朝9時、大崎警察署捜査1課に所属する耕一は自席でブラックコーヒーを飲みながら今朝の朝刊を読んでいた。
一睡もしていない。彼は連日発生している通り魔事件の捜査をしていた。
『連日通り魔殺人事件 未だ解決せず』
新聞の一面を目にし、耕一は眉間に皺を寄せた。
「おい佐藤、ずっと署にいたのか。」
上司である東堂が耕一の目のクマと昨日と同じスーツを見て言った。
「おはようございます。また新聞で大々的に書かれていますよ。早く解決しないと。」
耕一は遅めに出社してきた東堂に対して少し苛ついて言った。
「気合い入っていることはいい事だが、今回の事件は解決に少し時間がかかるかもしれないからな。休まないと体が持たんぞ。」
部下に苛つかれている東堂も昨日は深夜0時まで働いていた。事件解決に全力で臨んでいるのは明らかだった。
以下の内容が新聞に記載されている。
12月23日深夜0時10分、五反田駅近くの人影少ない細い路地で一人の女性が何者かに後ろからナイフで刺された。
12月24日深夜1時25分、目黒駅近くの上大崎信号機付近の大通りで1件目同様、1人の女性が何者かに後ろからナイフで刺された。
そして三件目の事件が12月25日深夜2時00分、大崎広小路駅付近で同様に背後から1人の女性が襲われた。
3つの犯行の共通点は深夜に女性1人が背後からナイフで刺されるという事であり、狭いエリアで起こっていることからも同一犯の犯行であることが推察されている。
大崎警察署は12月24日に特別捜査本部を設置し総勢50名が捜査に当たった。都内の優秀な刑事が集まり、深夜といえど街頭やコンビニエンスストアが周りにあるため監視カメラを追跡すればすぐに犯人を特定することは容易だと思っていた。しかしながら現在も犯人は捕まっていない。
捜査本部の面々には事件に解決の兆しが見えないことで苛立ちが募っていた。耕一もその一人だった。
3つの連続した事件の被害者は全員死亡している。従って、証言は取る事が出来ない。そしていずれも事件の時刻は雨が降っており傘で犯人の特定が難しいことが事件解決長期化の要因となっている。
現在は耕一とは別の班が監視カメラのトレースを行っており、耕一の所属する班は
被害者女性の人間関係を調べ、そこから犯人特定を目指している。
1人目の被害者Sは27歳OLで実家暮らし。事件当日は仕事の同僚と4人でお酒を飲んでいた。
「酔いを覚ましたいから歩いて帰るね。」と言って解散したという。
不動前駅の実家まで道のりは徒歩20分であり、距離的には違和感はなかったので同僚も気をつけるよう伝えて見送ったという。
Sは明るく気さくに話すタイプで周りから嫌われている様子はないと当日一緒に飲んでいた3人が証言しており、他の職場の人間やSNSを見ても陰の部分はなく、写真には常に誰かと映っていて明るい表情を見せていた。
殺人事件を約5年担当している耕一もこれほどまでに怨恨のセンがなさそうな人物は初めてだと思った。
2人目の被害者Yは30歳のアパレル店員。出身は島根県で高校卒業後上京、目黒駅付近に1人暮らしをしている。
夜は水商売をしており、事件当日は働いているキャバクラからの帰り道だった。本来ならば帰りが遅いこともありスタッフが車で送るきまりになっているが、Yの場合は店と家が近いこともあり、普段から歩いて帰っているのだという。
耕一の班はアパレルショップの店長や同僚、キャバクラ嬢にも聞き込みを行ったが交友関係は狭かったという。Sと生活は正反対であるが交友関係狭いが故に誰かに恨まれている可能性も低いという点は共通していた。
3人目の被害者KもYと同じく30歳のネット証券のコールセンター勤務。東京出身で大学卒業後広告会社勤務後、3ヶ月前に転職してNNネット証券で勤務している。
派遣社員に近い処遇であり、勤務中も職員同士で会話する機会も少ないため、Kの人間関係だけが不明確であった。
耕一はKの事件だけ何かが違うと内心では思っていた。捜査本部の見解では3件目も同一犯もしくは模倣犯の可能性を疑っているが、耕一はこの事件だけはKを特定して殺す動機を持って殺害している気がした。
理由は3人とも刺された場所は背中であるが、SとYが背中中央部を力強く刺されているのに対し、Kは脇腹に近い、背中の左側を刺されてたからだ。また検死の結果、一度刺してから刃を両腕で強く押し込んだ形跡がある事が判明した。
つまり犯人はKに対してはSとYよりも横から近づき一度片腕だけで刺した事になる。
耕一はこの点に関して引っかかっていたため、三件目の被害者であるKの自宅については入念に捜索することにした。
大崎広小路駅から徒歩3分にあるKの自宅は1ルームのマンションだった。広さは8畳程度あるが、物が少なく非常に整理整頓が行き届いていた。
今が真冬という事もあり、余計に寒さを感じる部屋だ。キッチン、バスルーム、クローゼットなどを見ても誰かと生活している様子はなかった。
「ほら、何もないだろ佐藤。今回の一連の事件に怨恨のセンはないと思うぞ。」
上司の東堂は耕一に向かって言った。
「まだもうちょっと見たいので先に帰っててください。」
耕一はなぜか諦めきれずに、上司の東堂の顔を見ることなくゴミ箱を調べながら言った。
「そうやってすぐ単独プレーしたがるのはやめろ。もう行くぞ。」
東堂がゴミ箱を漁っている耕一に呆れた顔で言った。
「あ、待ってください。東堂さん、これ見てください。」
耕一が何かを見つけたような言い方で東堂にそれを渡した。
“うつもりだった。○〇〇○○て悔しい。みんなに注目されると萎縮してしまうのが私のダメな癖。”
「なんだこれ。手紙か何かか?」
東堂は耕一から渡された紙切れを見て言った。
「いえ、日記じゃないでしょうか。斜めに切られているので、この上の部分が気になりますね。」
「どうして悔しがったんだろうな。」
二人はこの紙の上の部分が保管されているような場所、勉強机の引き出しを探したところ、一つの手帳を見つけた。
「これのメモ欄ですね。」
耕一は先ほど見た紙切れの点線とサイズからしてこのメモ帳だと断定した。
どうやらそのメモ欄には1週間ごとにその週起こった印象的な出来事を数行で記されていた。そして問題のページは直近のページであり、それ以降は書かれていなかった。
ゴミ箱にあった紙と合わせてみる。
“12月15日〜21日
今週は美雪たちとの忘年会があった。
祥吾との秘密と美雪が隠したがっている事を言
言い損なっ
「ピッタリ合うな」
と、先程は帰ろうとしていた東堂が興味深々にメモを見ている。
「前の週も見てみましょう。」
耕一はKが忘年会に参加していたと言うことや秘密を持っていたことが気になりパラパラとページを戻した。
仕事の上司への愚痴や、NNネット証券のわかりにくい口座開設フローや株の買付注文のせいで電話対応が大変といった文句が多かったが、
所々で「祥吾」と「美雪」と言う名前が記されていた。
「こんなに上司のことを嫌いになるもんなのか。」
と聞きづらそうな顔で言った東堂に少し笑いながら
「それは置いといて、見てください。美雪の隠したがっていた事って多分これですよ。」と耕一は答えた。
“
9月29日〜10月5日
今週はすごい現場を目撃しちゃった。美雪と優太君が目黒のラブホテルから出てきたところを見かけちゃった。
私の作戦が大成功って事だよね。とってもいい気分。
お酒でも飲もうかな。早く祥吾に言いたいな。
”
「Kの作戦ってなんなんですかね。あと祥吾ってやつのことが好きみたいですね。」
東堂に向かって言ったと同時に、この時期はリンゴ狩りができる良い季節だな、なんて関係ないことを思った。
「おい、みろ祥吾の連絡先書いてあるぞ」
東堂が手帳の最後のページを見ながら言った。
祥吾
090ー1394ー〇〇〇〇
「かけてみましょう。」
東堂にそう言う前に耕一はスラックスの左ポケットからスマホを取り出していた。
「もしもし、こんな時間にどうしたんだよ。」
電話越しの祥吾は静かな声で、明らかに困っている口調だった。
「大崎警察署の佐藤と申します。祥吾さんで間違い無いですね?」
「警察?どういう事ですか?」
祥吾は状況が掴めない様子だった。
「落ち着いて聞いてください。ご存知か分かりませんが、昨日起こった3人目の通り魔事件の被害者がKさんでして、現在Kさんの部屋を調べさせて頂いでいるんです。」
「え……恭子が?そんな…」
「突然の状況で申し訳ございませんが、恭子さんとはどのようなご関係ですか?」
「…大学の同期で一緒にスキーサークルに入っていました。」
「なるほど。恭子さんの手帳には祥吾さんの電話番号しか記載されていない。恭子さんの人間関係について知りたいので、今日どこかで時間をいただけませんか?」この時には耕一は祥吾が何かを隠していることが明確にわかっていた。
「…分かりました。仕事終わりなら。」
「ありがとうございます。では20時に大崎広小路駅前のカフェでお待ちしています。」
祥吾と恭子は完全に体の関係があり、それを祥吾は隠さないといけない理由がある。と耕一は予想していた。
待ち合わせ時間に来た祥吾は身長が180センチほどでスラッとしており、爽やかな印象だった。
しかしながら表情は暗く、耕一と東堂をみると軽く会釈をした。
「祥吾さん、ですね?」
「はい。木下祥吾です。」
「改めまして大崎警察署捜査一課の東堂と佐藤です。」
二人は祥吾に証明のために警察手帳を出した。
「あの、ほんとに恭子は殺されたんですか?」
祥吾は急に目つきを変え、まるで耕一たちを恨んでいるかのように聞いた。
「落ち着いてください、木下さん。残念ながら、恭子さんは亡くなりました。私たちは、一刻も早くその犯人を捕まえるべく全力で調べています。捜査に協力していただけますね?」
耕一は祥吾を宥めながら、捜査の協力を求めた。今回の事件において祥吾は重要な人物になる可能性がある。
「はい、お力になることがあれば。。」
「失礼ですが、改めて恭子さんとのご関係を教えてください。」
「大学の同期です。一緒にスキーサークルに入っていて、5人組で生活することが多かったです。今も定期的に集まっています。」
ふと耕一は大学時代の祥吾を想像し、きっと5人組の中心メンバーだったのだろうと思った。
「なるほど。先週忘年会もやってらっしゃいましたよね?」
「なんでそれを?」
祥吾は本当に驚いたような表情を見せ、耕一に聞いた。
「実は恭子さんは生前、日記のような物を書いていました。そこで知ったんです。」
耕一は日記ではなくて、週記だと思った、のちにそんな単語はないとも思った。
「そうだったんですね。それ以外に何か書いてありませんでしたか?」
祥吾は何か、意味のある聞き方をした。
「と、いいますと?……失礼ですが、木下さんと恭子さんは男女の関係はありませんでしたか?」
耕一の唐突な質問に対し、東堂は「おいおい」と叱る仕草を見せるも、これはこのコンビの作戦だ。
「……はい。恋愛関係と言いますか、不倫、をしていました。」
「不倫、と言う事は木下さんはご結婚なされているんですね?」
「…はい。それも先ほどのスキーサークルのグループの一人と結婚をしています。」
「なるほど。」
この瞬間、耕一は一つの仮説を想像した。
『祥吾の妻はおそらく手帳に出てきた美雪という名前の女性だ。木下祥吾と恭子は不倫関係になり、孤独な恭子は益々祥吾の事が好きになる、と同時に美雪のことを憎み始めた。そんなある日、美雪とまた同じサークルの優太という男性がホテルから出てきたところを目撃する。』
どんな方法でその二人をくっつけたかはわからないが、大筋は合っている気がした。
そして、『ある日恭子は祥吾に対して美雪が不倫していることを報告し、さらに恭子と祥吾が同じく不倫関係にあることを美雪に伝え、完全に夫婦の仲をぶち壊す。』
それを行うことを知った祥吾や美雪には十分に犯行する動機がある、と。
「話を変えますが、12月25日深夜2時ごろ何をしていましたか?」
耕一はその仮説をもとに、一思いにアリバイを確認した。案の定、東堂は「おいおい」という表情を作ったが、質問の撤回はしない。
「その時間なら、寝ていましたよ」
「それを証明する人は?」
「まさか、僕を疑っているんですか?」
祥吾は突然のアリバイ聴取に動揺する。
「いえ、刑事という職業はこのように一人一人の状況確認が重要になってきますので、念のために。」
このセリフには慣れているのか、東堂はすかさず耕一をフォローした。
「そうですか。寝ていた事を証明する人はいませんが、この日は妻と一緒に家にいました。うまくいっていないので、寝室は別々でして。」
「美雪さん、ですか?」
「ご存知でしたか。」
「恭子さんのメモに美雪さんと祥吾さんが定期的に出るものですから、勘ですよ。」明らかにこの発言の後に祥吾の顔が一瞬歪んだ。耕一の推測は当たっているのかもしれない。
「刑事さんは鋭いですね、」
「これだけが取り柄ですから。もしよろしければ美雪さんともお会いしたいのですが、連絡先を教えてもらえませんか?」
そう言って、祥吾から美雪の連絡先を聞き、いくつか質問したあと、その日は解散した。明日美雪と会う約束を取り付けることができた。
“
(恭子はどこまでの事実を記していたのだろうか。あの刑事は勘がいい。)
祥吾は内心焦っていた。恭子との関係を他に知られたくなかったからだ。これが知られたら、同じサークル同じ学部で一番仲の良かった俊との友情は完全に無くなる、と思っていた。
全ては先週の忘年会のせいだ、と彼は思った。
___________
恭子 「あのね、ワタシ、みんなに話したいことがあるんだけど…」
俊 「そう、そうなんだよな、恭子!えー、皆さんに報告があります!実はさ、俺たちさ、付き合うことになったんだよね…!!!」
(俊は皆の反応を見る。何かがおかしい。美雪はホッとした顔で、優太は無表情、祥吾は眉間に皺をよせている)
俊 「え?みんなもっと驚いてもらってもいいかな?」
そう俊が言った後すぐに恭子が訂正する。
恭子 「違うの俊くん。ワタシが言いたかったのは、俊くんとの報告じゃないんだ。……ワタシ、みんなの秘密知ってるの。」
俊 「ん?何言ってんの?恭子。」
祥吾 「そうだよなんか変だよ恭子。」
美雪 「そ、そうだね、恭子顔色悪くない?大丈夫?お酒飲んだからかもね。」
恭子 「…違うの。みんなの秘密知ってるんだから。目黒のことだって、知ってるんだからね!!」
そう言って恭子は店を飛び出した。
俊 「え?なに? どういうこと?」
優太 「あいつ今日変だな、追いかけろよ俊。」
俊はスキーサークルのメンバーに衝撃な報告をして驚かせようとするはずだったが、意味深な恭子の発言と行動に対して状況が読み込めずにいた。そして、恭子が飛び出してから美雪がホッとした表情をとった事に対して祥吾は気になっていた。
『目黒のこと』
祥吾はあの日の恭子の捨て台詞が未だにわかっていなかった。確かに祥吾は恭子と目黒のホテルで何回か会った事がある。確かにそれだけでも不倫行為ではあるが、あの会話の展開で発言することだとはどうも思えない。
目黒でのことというのは美雪や優太、もしくは俊が隠している秘密のことなのかもしれない、と今日の刑事との会話を経てあの時のシーンを思い出していた。
”
「木下美雪さんですね?」
祥吾とカフェで会話した翌日の27日の昼、同じカフェで耕一と東堂は美雪を迎えた。
「はい。お待たせしてすみません。」
白のチェスターコートにピンクのマフラーという服装で現れた美雪は、清楚な印象をうけた。
「では早速、お伺いしたいことが何点かございます。今回の恭子さんの事件はご存知ですね?」
「はい、ニュースで知りました。」
「恭子さんはどのような関係で?」
「恭子とは大学のスキーサークルで同じでした。同期に女性が少なかったのですぐ仲良くなりました。」
「今でも仲良いんですか?」
「はい、先週も忘年会しました。大体年に2,3回は今でも会っています。」
「なるほど。最後に恭子さんと会ったのはその忘年会ですか?」
「そうですね。」
「恭子さんの様子は変わりなかったですか?」
「……いえ、少し、変わっていました。」
耕一の質問に対して、明らかに動揺した事がわかった。
「具体的に、どのような雰囲気だったんですか?」
東堂が耕一と恭子の会話に割って入る。
「あの…なんていうか、その忘年会も一つの報告のために俊くんが集めたんです。それは、恭子と俊くんが付き合った報告だったんですけど」
「なるほど、それで?」
耕一と東堂は意外な事実を聞いて、顔を見合わせた。なぜなら、恭子は祥吾の事が好きと思っていた事と俊が日記に一度も出てきていなかったからだ。
「…そしたら、恭子がその報告ではないことを言いたいって言い始めて。みんながよくわからなくて、恭子のことをちょっと詰めた感じになってしまったら、みんなの秘密を知っている。目黒のことも知っているとかなんとか言って、店を出て行ってしまったんです。それ以降は何も知りません。」
「みんなの秘密…目黒のこと…ですか?」
耕一と東堂は恭子の日記通りだなと思った。おそらくみんなの秘密というのは恭子と祥吾、優太と美雪が不倫関係にあることで、目黒のことというのは優太と美雪がホテルから出てきた場所の事を言っているのだろう。
「はい、そんなような事を言ったと思います。」
「目黒のこと、という言葉に心当たりはありますか?」
耕一は美雪に対して、答えが見えている質問を投げかけた。
「…いえ、特には。」
美雪が嘘をついていることは明らかだった。
「失礼ですが、事件発生時刻である25日の深夜2時ごろは何されていましたか?あ、念のためです。これも刑事の仕事なので。」
「あぁ、その時間は仕事終わって前の職場で飲んでから帰ってきて…ちょうどお風呂入ってた頃かもしれないです。」
「なるほど。前の職場と言いますと?」
「今は人材派遣会社で働いていますが、前はバーテンダーだったんです。」
「え、バーテンダーだったんですか。ちょっと意外でした。どこにあるんですか?」
「自由ヶ丘です。一時すぎまで飲んでいたことはそこのマスターも証明してくれると思います。」
美雪は少し強調して言ったが、耕一はその時間帯に自由ヶ丘を出発すれば、大崎広小路駅での犯行は可能だと思った。
「なるほど。分かりました。旦那の祥吾さんはその時間、何をされていたか分かりますか?」
「祥吾も仕事の同僚とお酒を飲んでいたようですが、私が帰った時にはもう既に寝ていました。」
「なるほど。祥吾さんは仕事の同僚とよくお酒を飲まれるんですか?」
「そうですね。特にその時飲んでいた同僚とは同じ島根県出身で仲がいいみたいですよ。」
「祥吾さんは島根出身なんですか。」
「はい、確か高校2年の時に両親の都合で東京に。」
「そうなんですか。」
これを聞いた耕一には連続通り魔事件の2人目の被害者Yも高校まで島根にいて祥吾と同じ30歳であることが、偶然では無いような気がしてならなかった。
この後、何点か質問した後に3人はカフェを後にした。
「東堂さん、この事件、あの二人をもっと調べる必要がある気がします。」
美雪と解散した後、耕一は言った。
「そうだな。美雪が明らかに嘘をついている点は単純にこちらに知られたくない情報だったとしても、祥吾の島根出身は驚いたな。」
東堂は癖である腕組みをしながら、上を見つめ先ほどの美雪との会話を思い出している様だった。
「とりあえず、藤井俊と話してみましょう。Yと祥吾が島根で関わりがあったかは別の班に調査依頼かけます。」
祥吾は美雪から聞いた俊の電話番号にかけた。
「すみません、急にお呼び立てしてしまって。大崎警察署の佐藤と東堂です。」
俊との電話はすぐつながり、27日の午後6時に新宿にある俊の会社近くのレストランで待ち合わせをした。
「とんでもないです。僕も恭子が殺されたことをニュースで聞いて。仕事する気になれませんでしたし、刑事さんに状況も聞きたかったので。」
俊は170センチ程度の身長で体つきが良く、ピッタリとした紺のスーツを着こなしており、営業に向いてそうな雰囲気だった。
「そうでしたか。恭子さんとは交際されていたんですよね?」
「ああ、美雪から聞きましたか。確かに付き合っていましたけど、付き合いたてだったし、今となっては本当に付き合っていたかもわからないですけど。」
「どういうことでしょうか。」
「忘年会のことはご存知ですか?」
「ええ、祥吾さんと美雪さんからざっくりとは。」
「そうですか。恭子が店を飛び出してから、心配になって追いかけたんです。ただ、何を言っても耳を傾けてくれなくて。しまいには俊くんのことは別に好きじゃなかったとも。」
俊はあの当時の事を思い出したかのように声を震わせながら言った。
「そうだったんですか。恭子さんに最近変わったことはありましたか?」
「いや、全然わからないです。仲良くしていたはずなんですけどね。ただ、職場環境は変わりましたね。」
「NNネット証券のコールセンター業務でしたよね。」
「そうです。前は広告代理店にいたのですが、3ヶ月前くらいに転職したんです。それから仕事の愚痴が増えるようになりました。」
「仕事の愚痴ですか。」
「はい。証券口座開設のフローと株の買付注文の仕方の問い合わせの対応が面倒だと。この間は70歳のおばあちゃんが電話してきたらしく、ババアがネット証券に登録するんじゃねえよ!とか言ってましたね。あと、仕事中はずっとイヤホンつけるので耳が痛いとか、職場での会話がなくてつまらないとか。」
「はは、そうでしたか。」
耕一は、やはり職場で恨まれていることはなさそうだ、と俊の話を聞き流しながら思った。
「いつもならあのグループで仕事の愚痴とか、今どんな仕事しているとか、結構熱く語ってお酒飲んで盛り上がるんですけど、この間の忘年会は全然盛り上がらなかったんですよね。」
「そうなんですか。盛り上がらなかったのはなんでですかね。」
耕一はこの次の回答が今回の事件解決につながるとは思わなかったが、俊の話すテンポや間が心地よく、聞いてしまった。
「うーーん、なんでですかね。いつもなら、祥吾は商社に勤めているので接待が多くて体に悪いなんてこと言い出して、ばかやろう俺なんてビールの営業だぞ俺のほうがビールで太りやすい環境なんだぞとかよくわからないことを僕が言ったり、恭子が仕事の愚痴言ったり、優太は銀行員で上場会社の融資担当をまた任されたとか自慢してきたりするんですけどね。んーー、もしかしたら僕の盛り上げ不足だったのかもしれませんね。」
そう言って俊は散々いらない話をした挙句、おちゃらけて見せたがこれが彼の営業スタイルなのかもしれない、と耕一は思った。
そんな時に警察から電話がかかってきたので、耕一は席を外した。
「……そうでしたか、みなさん自分の仕事の話を良くしてるんですねえ。いやー、私らが事件の捜査内容を友人に話したら大変なことになりますからね。」
耕一が席に戻ると、東堂はまだ先ほどの話の続きをしているようだった。
「東堂さん、ちょっと」
「ん?」
東堂は耕一に引っ張られて、俊が聞こえないような距離まで離れて小さな声で話した。
「別の班から連絡があって、祥吾とY、やはり同じ高校で1年生の時に同じクラスになっているようです。」
「マジかよ。そんな偶然あんのか。」
東堂は思わず大きな声で反応してしまった。
「もう少し、祥吾の事を調べる必要がありますね。」
耕一たちは俊が加害者の可能性もあるが、アリバイを聞く前に急用ができたといい、改めて会う約束をした後、署に戻って防犯カメラのトレース状況を確認した。
『12月23日と24日の犯行時刻と現場周辺に同一人物がいたと断定できる映像が見つかった。性別は男で身長180センチ、細身で短髪、黒のキャップ被っていた。』
防犯カメラの調査班からの報告であり、これが事実ならば、SとYを殺した犯人は同一人物である可能性が十分に考えられる。そしてまた、その男の体格に祥吾があてはまっていた。
そうするとやはりSとYと恭子を殺したのは同一人物で、そして祥吾なのか。
Yと恭子との共通点は見つかり、Yに対しても殺す動機があったとして、一人目の被害者Sとの関係はどうか。耕一には祥吾が3人も連続して殺人を犯す人間には見えなかった。
何か見落としている気がする。そんな事を思いながら、耕一は家に帰った。
28日(土)の朝7時、世間はクリスマスの雰囲気から年末年始ムードに入り、この日から年始まで長期休暇の人がいるなか耕一は休みがない。
一刻も早くこの事件を解決しなければ、無事に年を越せない、なんていう風に思っていたが、朝から頭が痛い。昨日一人家でお酒を飲みすぎたせいだろう。
朝食にリンゴをかじりながらコーヒーを飲んで寝ぼけたまま、テレビをつけた。
テレビの女子アナウンサーから聞こえてくるニュースは全然頭に入ってこないが、
『今日から長期休暇で高速道路の渋滞情報や空の便の話。製薬会社が新薬の販売開始を発表して株価がストップ高になり日経平均の前日終値が高騰した話。』
耕一にとってはあまり興味がないニュースのなかで、速報が入った。読み上げる女子アナの声のボリュームが上がった。
『速報です。23日未明から連続で発生している通り魔事件の犯人が自首した模様です。えー現在、内容はわかっておりませんが、大崎警察署に先程犯人と思われる人物が自首した模様です。えー、速報です』
耕一は耳を疑って、瞬時にケータイを見ると着信が7件も入っていた。彼は急いで着替えて、署に駆けつけた。
「おい遅いぞ佐藤。」
と、東堂はいつにも増して真剣な眼差しで耕一を見た。
捜査本部には既に7割程度の刑事が集まっており、事情聴取しているものと、その供述を裏付ける証拠を捜索するものと分かれた。
自首した者の供述内容としては、3人目は無関係と主張しているため、引き続き耕一たちの班は恭子殺害の犯人捜査が任務となった。
「それにしても急な展開だな」
東堂は自分たちの仮説が外れたことに対しても悔しがっているようだった。
「まあでも、犯人が自首してきたことはいいことですよね。引き続き恭子の方は祥吾を中心に調べ直しましょう。」
「そうだな、次は優太ってやつにも話聞いてみないか?」
東堂は耕一が電話で席を外している間に、俊から優太の連絡先を聞いていた。
銀行は土曜日は休業日ということもあってすぐに連絡がつながり、昼に優太の自宅近くのカフェで会う約束ができた。
「新田優太さんですね。大崎警察署の佐藤と東堂です。」
優太は身長は祥吾と同じくらいあるが、痩せ細っていた。銀縁のメガネに髪はオールバックの外見から、エリート感が漂っていた。
また、この時間には既に事情聴取から得た供述や犯行に及んだ凶器に被害者の血液が付着していたことなどから、自首した男がSとYを殺害したことは明らかになっていた。そして3人目の殺害時刻には明確なアリバイがあったため、恭子の件は別事件として取り扱うことが捜査本部からの命令だった。
事件当初から恭子の事件に取り掛かっていた耕一と東堂は事件解決に向けてさらに気を引き締める必要があった。
「はい、新田と申します。」
「我々は恭子さんが殺害された事件について調査を進めています。ご協力ください。」
「もちろんです。本当に驚きました。忘年会でも様子が変だったので心配だったんです。」
「スキーサークルのですね。お話は藤井さんから聞いています。秘密を知っていると言って店を飛び出してしまったとか。」
「そうです。あんな恭子を見たのは初めてでした。」
優太は神妙な面持ちで耕一に話した。
「恭子さんは普段どういうタイプなんですか?」
「元々静かなタイプで、周りの話を聞いて話を合わせるタイプですけど。話し出したら止まらない時がたまにありますね。あの時の忘年会はみんな静かでしたけど。」
「いつもの集まりならお仕事の話とかで盛り上がるんですよね。」
「はい、みんな仕事の愚痴が止まらないですね。」
愚痴を言っている皆の姿を想像したのか、この時は優太の表情が緩んだ。
「新田さんは銀行員で上場会社とか有名な企業をご担当なされてるでしたね。やりがいがありそうですね。」
耕一は俊から聞いた情報の率直な感想を優太に伝えた。
「え?俊はそんなことまで話したんですか?」
優太は露骨に嫌な表情を見せた。
「ええまあ。話の勢いで聞きました。」
耕一は優太の表情に押されて正直に答えた。
「あいつほんとにあり得ない。銀行員は情報管理の観点からどこの会社を担当しているなんて話を外部の人に言ってはいけないんです。あいつに言った私が馬鹿でした。」
「もちろんそれは我々も同じですので、捜査の一環の情報として外部に漏らすことはありませんのでご安心ください。」
「当たり前じゃないですか。お願いしますよ。」
耕一は優太がここまで過敏に反応したことに対して、違和感を覚えた。
「承知しました。話を変えますが、木下祥吾さんと美雪さんはご結婚なされて長いんですか?」
「いえ、3年ぐらいだったと思います。まああんまり上手くいってないようでしたけどね。」優太は少し嘲笑した表情で耕一に伝えた。
「そうなんですか。上手くいってないと、どうして思ったんですか?」
「それは、美雪と祥吾双方から上手くいっていない事を相談されまして。」
「なるほど。」
優太は美雪と不倫関係にあったことを隠している。東堂と耕一はその後、優太に何点か質問をして解散をした。
解散したと同時に署の防犯カメラトレース班から連絡があった。
『防犯カメラで恭子を殺人したと思われる人物を特定した結果、身長180センチ程度で細身、犯行時は紺の傘をさしていた』
東堂と耕一はやはり祥吾が当てはまると思った。
「祥吾を中心に、職場にも行って色々調べてみるか。」
東堂はそう言い、二人は祥吾の職場に電話をかけてみた。
商社はやはり激務なようで、土曜日だったが出社している社員は多く、祥吾と同じ島根出身の同僚にも話を聞くことができた。
それから二人は美雪の元職場である自由が丘のバーにも顔をだし事情聴取をしたが、有益な情報を得ることはなかった。
そんな状況下、再び防犯カメラのトレース班より連絡があった。
『祥吾と美雪が住んでいるマンションの防犯カメラを確認した結果、供述した通りの時間帯にエントランスから入った事がわかった』という。
そしてその報告には続きがあり、外に出た可能性についての捜査結果も併せて伝えられた。
『マンションには裏口があり、そこから外に出た可能性があったが、裏口のカメラが犯行時刻正常に稼働していなかったことでアリバイの裏付けが難航していた。今日になって裏口付近のコンビニ駐車場の映像を確認することができたが、祥吾や美雪の姿はなかった』という。
つまり、祥吾と美雪は犯行時刻に家にいたことがほぼ証明されている。
防犯カメラのトレース班は引き続きマンション付近のカメラを確認しているが、おそらく覆ることはないだろう。
東堂と耕一は、祥吾は裏口のカメラが稼働していないことを知っていて、他の付近のカメラにも映らない何らかの方法で外に可能性について捨てずに捜査を続けた。
日曜日の夜、耕一は実家に帰ると父親の姿があった。ここ最近、立て続けに捜査が入っており、実家も同じ東京にあるとはいえ、帰るのは久しぶりだった。
耕一の父親は弁護士であり、その晩は酒を飲みながら仕事の話をした。父が扱う案件は民事事件から刑事事件の弁護に変わっていた。最近実際に関わった案件を何件か話していたが、商法や金融商品取引法の細かな知識が必要であり難しそうな話だった。
しかしここ1週間、東堂とずっと顔を合わせていた耕一にとってはとてもリラックスできた時間だった。
「月曜だし優太の職場にも行ってみるか。」
東堂はそう言って優太が働いている銀行の本店営業部にアポを取った。
東堂と耕一は月曜日の昼に向かったが、優太は外出中で、優太の上司と話す事ができた。
ほとんど恭子の事件とは関係ない話が多かったが、最後に優太が担当している会社一覧を確認する事ができた。
耕一はそれを見るとすぐにケータイを手に取った。
「久しぶり、佐藤です。大至急調べてほしい事があるんだけど……」
電話の先は耕一と同期入社の捜査二課に配属されている安藤だった。
東堂と耕一は銀行を出ると署に戻り、改めて今まであった人物の人間関係や証言をまとめた。そして今、安藤に依頼している事が明らかになれば、事件解決に大きく近づく気がしていた。
そんな時、一本の電話がかかってきた。
「佐藤、大正解だよ、母親が買っていた。こっちも動く。」
月曜の夕方、安藤に依頼していた事が明らかになった。東堂と耕一は急いである場所へ向かった。
「お仕事、お疲れ様です。」
東堂と耕一は仕事が終わる時間を見計らって外で待っていた。
「なんなんですか?今日昼にも来たらしいですね。」
優太は怪訝そうな顔をしてこちらをみた。
「あなたとお話がしたくて、来たんですよ。」
東堂は含みを持した言い方をした。
「知っている情報は一昨日話しましたよ。」
「いえ、あなたは我々に隠している事がある。」
「なんですか?」優太の表情が更に曇った。
「恭子さんが忘年会で『目黒のこと』と言ったことは一昨日話しましたね。」
「はい。それが?」優太は耕一と東堂に挑発したような発言をした。
「我々は『目黒のこと』をあなたと美雪さんが不倫していたホテルの場所の事をさしているものだと思っていました。」
「なんでそれを?」
優太は耕一たちが知っていることに対して、驚いた様子だった。
「恭子さんの日記に書いてあったからですよ。」
「まさか。じゃあ目黒のことというのは不倫のことだったと?」
この発言をした後に、優太はしまった、という顔をした。
「事実はそうだった。でもあなたは違った。考えすぎたんですよ。」
「どういうことですか。」優太は怪訝そうな表情に戻る。
「我々は様々な方面から犯人を予想しました。そもそも不倫を知られて困る人は美雪さんか祥吾さんです。狭いコミュニティで生きていた恭子さんが怨恨のセンで殺されるとすると、この2人の可能性が高いと判断していました。しかし、先週末にアリバイが証明された。
では、恭子さんは見知らぬ人に殺されたのか…それはないと判断しました。」
耕一はこれまでの推理を思い出しながら優太へ話した。
「それで?」もはや優太は敬語を使う余裕がなくなっていた。
「恭子さんが刺された箇所は背中の左側です。ここが判断のポイントとなりました。犯人が見知らぬ人に近づき、殺害しようとすると一般的には背後から対象者に迫って勢いよく刃物を刺すはずです。しかし、今回の恭子さんのケースは一度片腕で刺されてからその後に両腕で力強く刃物を押し込まれている。恭子さんは犯人と近づくことに対して違和感がなく、並行して歩いていたと考えられます。つまり、やはり恭子さんの知人である可能性が高いと判断したんです。」
耕一に変わって東堂が話した。
「それで?俺が犯人だと?」優太は呆れた顔を見せる。
「今日の昼、あなたの担当先一覧を見て驚きました。『目黒製薬』をご担当されてますね。」
「それが?」
「最近新薬を発表して株価が高騰した上場会社だ。」東堂が言った。
「それがなんですか?」
「あなたは新薬を発売する情報を世間に公表される前に知りましたね。そしてそれを、あなたの母親に伝えて、目黒製薬の株を買うように勧めた。対面営業の証券会社だとインサイダー取引がバレる可能性があったため、NNネット証券で買え、と。」
「証拠、証拠はあるんですか。」優太の顔が段々と歪んでいく。
「証拠はあります。インサイダー取引などの金融商品取引関連の事件を担当している捜査二課が、あなたの母親が目黒製薬の株を買った事を確認しました。いま、あなたの母親に対して事情聴取をおこなっています。
問題はここからです。
あなたは一点大きなミスを犯していた。
それは、恭子さんが3ヶ月前にNNネット証券のコールセンター業務に転職していた事をあの忘年会で初めて知った事です。
そして更に、あの日恭子さんが仕事の愚痴を漏らしていた件でもう一つ気になる点があった。
それは、あなたの母親が株の買付注文についてコールセンターに問い合わせた相手が恭子さんであった可能性が高い、と。」
「……。」優太はもはや何も言い返す事ができなかった。
「あなたは恭子さんの『目黒のこと』という発言を『目黒製薬』に関するインサイダー取引の事だと思ってしまったんだ。
そして、居ても立っても居られなくなったあなたは事件当日、恭子を呼び出して犯行に及んだ、違いますか?」
耕一は続け様に自分の推理を優太に伝えた。
「………はい。間違いないです。私が恭子を殺しました。大変な事をしてしまった。」
優太はうつむき声を震わせながら言った。
「ただ、分からないことがあります。そもそも、なんでインサイダー取引を?」
東堂が聞いた。
「目黒創薬からインサイダー情報を入手したとき、当初は銀行に報告するつもりでした。ただ、チャンスだと思ってしまったんです。母親に豊かな生活をさせてあげたかった。
目黒製薬の株は間違いなく上がる、母親名義でネット証券で買えばバレないのではないか、と思ってしまったんです。」
「恭子さんがそのネット証券で働いている事を知らずに、ですよね?」
「そうです。あの忘年会でNNネット証券に転職した事を聞いて、心臓が止まるかと思いました。結局母親に迷惑をかけてしまった。」
優太は反省と後悔をしている表情で言った。
「犯行当日、どうやって恭子さんを呼んだんですか?」
東堂は気になっていた事を聞いた。
「恭子がたまに1人で大崎広小路駅前のバーに飲みに行くのは知っていました。それも結構遅い時間まで。実はあの夜は恭子を張りこみしてたんです。バーから出てくるのを見計らって偶然を装って会ったんです。最近通り魔事件が発生してるから家まで送っていく、と。」
「なるほど。その後はどういう会話を?」東堂は続けて聞いた。
「最初はあの忘年会でなんで店を飛び出したのか、と聞いたんです。恭子は急にみんなから注目されると時々ああなってしまうって事を教えてくれました。
その後に最後に言った『目黒のこと』の内容を聞きました。しかし、『自分が1番知っているでしょ』、『今度みんなにバラすから』と恭子に言われました。恭子はお酒を飲んでいるせいか少し乱暴な口調でした。そこで気が動転してしまって…」
「それでナイフで刺した…と?」
「いえ、話を変えてしばらく一緒に歩きました。どうせなら連続通り魔事件に被せることができないかと思ったからです。歩きながらタイミングを見計らって右手で恭子の背中左側を刺して、その後両手で思いっきり刺しました…」
「犯行に使った凶器はどこに?」東堂に代わって耕一が聞いた。
「捨てると逆に危ないと思って、私の自宅に隠してあります。」
「では、後ほど警察署の者が家宅捜査します。最後にもう一つ。
私の予想ですが、おそらく恭子さんはあなたの母親のインサイダー取引に気づいていなかったんじゃないでしょうか。」
耕一は恭子が書いていた日記を思い出していた。
「なんでそう思うんですか?」優太は顔を上げて耕一の目を見て言った。
「根拠は日記です。恭子さんの日記はその週に起こった出来事や思った事を綴っていたんです。インサイダー取引を疑っていたならばあなたの事を書いていたはずだ。
あなたは『目黒のこと』が『美雪さんとの不倫のこと』だった場合、恭子さんがそれをスキーサークルのメンバーに伝えるメリットはないと考えたと思います。しかし、メリットはあったんですよ。
実は、恭子さんは祥吾さんの事がずっと好きだった。そしてその祥吾さんと結婚している美雪さんのことを憎んでいたんです。
つまり、あなたと美雪さんの不倫を祥吾さんに伝えたら離婚させる事ができる、と考えたのではないでしょうか。」
耕一は優太に自分の予想を伝えた。しかし、恭子はもういない。
結局、『目黒のこと』の真相は誰にもわからないままだ。
「……そんな…」
優太の目には涙がこぼれ落ちていた。
「署まで御同行願います。」
こうして、連続して起こった3件の殺人事件は年内に解決する事ができた。
その後、優太は殺人とインサイダー取引の罪で起訴された。また、祥吾と美雪は離婚することになったという。恭子があの日、あの言葉を言わずにも彼らは離婚していたのかもしれない、と耕一は思った。俊は依然として傷心したままだった。
ここ2週間東堂と毎日10時間以上顔を合わせていたが、耕一も正月休みを取る事ができた。今日は実家で親戚と集まっている。
母の裕子は「もういい歳なんだから結婚しなさい」と耕一が実家に帰る度に言う。耕一は、『今回の事件でまた結婚が遠のいた気がするよ』と仏壇の祖父に話しかけた。
好物だったリンゴを供えて。
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