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優しい色を忘れて。

こんばんは、大久保です。
これから毎日書いていこうと思います。

毎日って言ってしまったので、毎日。文字数の大なり小なりあると思うけれど、自分の気持ちを言葉にしていく練習をしていかないとと思いました。


ここ半年、あまり文章を書いていませんでした。
書いていなかった、というよりも書けなかった。そんな気持ちの方が正しいように思います。

理由は色々なことがあると思います。
ただ自分の中でまず思い浮かぶことは「優しい気持ちを忘れてしまったから」です。


僕が文章を書くことに踏み込んだのは、2018年の3月。
天狼院書店のライティングゼミの受講をきっかけに、オンラインサロンでの活動も始めました。

勉強の場と同時に実践の場が突然現れ、なにより今までなんとなく憧れていた世界が目の前に広がりました。未知の世界と、そのレベルやスピード感に圧倒されながら、少しずつ、周りとは比べ物にならないくらいゆっくりと足を踏み出していました。

周りは本当にすごい人たちばかりでした。
ライターも編集者も、こんな人たちがいるんだ、こんなことを考えているんだという出会いばかり。読んでいた本の作者が目の前にいる。それだけでも今までの自分にとっては信じられないことでした。

書くことだけでなく、その他のジャンルでもたくさんの出会いがありました。写真やデザイン、動画など。ジャンルは分からないけど、面白い人も。

出会うたびに魅了されながら、知り合いや友達が増えていきました。一緒に活動して、時には飲みに行ったり、遊んだり。

これまで出会う人、みんなが一生懸命で、すごいなと思っています。


いや、思っていました。

出会う人全てを信じていました。でも、実際には信じるべきではない人も何人かいた、ということです。

関わる回数が増えるほど、人はお互いのことを知るようになり、時に尊敬をしていきます。だけど、その逆のこともあったみたいです。

表向きは良い態度をとっているけれど、見えないところでは何をされているか分からないことが度々起こりました。

真実とは異なる噂を流されたり、まるで関係ない事柄と結びつけられ悪者にされていたり。

自分のいないところで嘘の噂を流され、それを信じた人からは直接悪口や罵詈雑言を浴びました。

「気持ち悪い」「信じられない」「クソだ」

身に覚えのない事柄を「それがは嘘だ」と説明しても「あの人はそう言っていたから」と言われました。その人にとっては先に言った方が正しいようです。

それでも信じて欲しくて、何回も説明をしました。それでも最後は「火のないところに煙は立たない」と、自分が汚い言葉を使ったことはまるで忘れ、責任をどこかの誰かへ擦りつけていました。


何もないところに火をつける人がいます。
その火に油を注ぐ人もいるし、ただ見ているだけの人もいる。
火をつけられた方は、自分で消す以外に方法はありません。誰かに手を差し伸べて欲しくても、そんなことはほとんど無いと知りました。

周りが手を差し伸べるのは火を付けた人や、油を注いでいる人だったからです。


自分のいないところでそんな嘘をばら撒かれ、それを聞いていた人がいることを知ってから、その場所での過ごし方が変わりました。

明らかに自分に対して態度が変わった人もいました。そうでなくても、きっと自分は、その嘘で塗られたように見られているんだ。そういう風に見られているんだ。そう思ってから、それまでのように自分の言葉が出せなくなっていきました。


一度火を付けてしまえば、油を注いでしまえば慣れてしまうようで、全く違う事柄でも、容赦無く遠慮なく汚い言葉を受けることが増えました。

「つまらない」「だらしない」「やめれば」

無視しておけばよかった。その時に縁を切っておけばよかった。
それができなかったのは、それでも彼・彼女を信じていたからだと思います。

汚い言葉を受けながら、我慢をしていったけれど、それが少しずつ重なっていくにつれて、たくさんの限界がやってきました。

どこかで誰かが、自分の見えないところで火を付けている。

感情が、自分の中の器からすぐにでも溢れてしまう状態でした。ちょっとしたことでも耐えられなくなって、何かあると自分の部屋で大きな声を出したり、物に当たるようになっていきました。

心の次は体調にあらわれました。
7月のはじめ、原因不明の頭部の痙攣が始まります。

いくつか病院に行っても原因は分からず、治療法も分からない。1日中頭の後ろを何者かに引っ張られ、集中もできなければ、上手く寝ることもできない。常に全身に勝手に力を入れられていました。

寝れなければ当然起きることもままならず、生活はどんどん乱れました。
体調が乱れ、さらに心が乱れ、物に当たる回数も、力も増えていきます。

8月の最後の日。
部屋の壁に穴が空きました。

壁を殴った時の、今まで聞いたことの無い音と、思ったよりも軽い感触と、手に残る熱い痛みは、僕の心をさらに冷たいものにしました。


もうダメかもしれない。元に戻れないかもしれない。
涙を流しながらも、痙攣し続ける頭が憎かった。
自分の中から優しい感情や、温かい気持ちがどんどんと失われていくと同時に、言葉がどんどん消えてしまった。

火をつけ、油を注いだ人間は、変わらずに言葉を発しています。それを何も知らずに楽しみ指示する人たちがいます。
それが許せなかった。

壁に穴を開けた事が、自分の中での諦めにも繋がりました。
痙攣を治すことを諦め、それ以外の心と体をどう整理するかを考えすぎ無いように変えました。

それが功を奏したのか、少しずつ以前よりは痙攣の度合いが弱くなっています。しかし、もうすぐ痙攣が生まれてから5ヶ月が立つものの、いまだに消えたわけではありません。

汚い言葉を浴びた分、自分の心は汚くなり、自分が生む言葉も汚くなりました。火を付けた人、油を注いだ人に、汚い言葉を返してしまったこともあります。

汚い言葉は、自分ではなかなか制御ができないようで、考える余地もなく、僕は汚い言葉を投げつけてきた相手に返していました。

「なぜそこまで言われなければいけないのか」

そう言われると、申し訳ない気持ちもあるけれど。
だったら、なぜあなたは僕に汚い言葉を投げてきたのか。

自分に過失があるのなら、認めて受け止めて、変わろうと思うでしょう。
でも、そうでは無かったから。精一杯変わろうと思い、受け止めようとしたけれど、それでもやはりいくら考えても自分に非はなくて、何も無い部分に火を付けられたのだから。


たくさんの素敵な出会いがある中で、このようなことがあって本当に残念でした。火の付けられた場所にはもう僕はいられなくなって、火を付けた人のことももう見たくなくなりました。

まだ壁の穴は塞げていません。
開けてしまった日に慌ててチラシを被せ、粘着力の弱いマスキングテープで何重にも重ねて留めて隠しています。

この穴を物理的にも、精神的にも塞げるように。
自分の中にあったはずの、優しい気持ちを少しでも取り戻せるように。

これから感情を言葉にして書いていければと思っています。

1日目はこんなにも冷たくて残念だけど。
温かい言葉が毎日出る日がやってきますように。



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