惰性的に日々を過ごすくらいなら、もっと貪欲であるべきなのかもしれない

ふとここ最近の私自身を客観視してみたとき、惰性的に日々を消化してしまっていたような気がした。すべてにおいて受動的で、また、よりよく受け止めようと自発的に動いてみることもちっともしていなかった気がした。タイムラインに流れてくるものを、ただ開けているだけの口で受けていた。

その上、様々な理由をこじつけて開き直ってすらいた。「現代社会は流れが速すぎて、追いかけようにも可処分時間が枯渇する」と偉そうに批判してみたり。「流行ばかり追うのではなく自分が好きと思えるものにまっすぐ時間をかけて向き合うのは豊かさにほかならない」とただの怠慢を正当化してみたり。「無闇矢鱈と変化を求めて彷徨うことは愚かなことだ。青い鳥は案外近くにいるものだ」とすべてを知っているかのように語ってみたり。

Xと化したTwitterは日に日に使いにくくなっていく。業を煮やした人々はもっと別のSNSへ訪ねてみている。……私は? Misskeyはよく使っているが、ThreadsやBlueskyなどと比較したわけではない。ただ「昔から使っていた」というだけの理由で使い続けている。慣れや心得があるというのは確かにメリットだが、それだけを理由にするのはいかがなものか。もっと頭を働かせてみてはどうか。

アカウントだけ持っているゲームはいくつある? ストーリーがよいと布教された崩壊3rdはチュートリアルすら終えていないような状況だ。BGMだけはYouTubeでよく聴いているブルーアーカイブも、チュートリアルの途中で放置。以前から世界観が特に気になっていたアークナイツは、オープンワールドな派生ゲームがリリースされるという話を聞いて満を持して始めたというのに結局は放置。積みゲーなんてものではない、ただ億劫で手を出していないだけだ。……そういえばノベルゲームも2本くらい放置している。

使いにくいものの致命的ではない程度には使えるNeoVim。せっかく覚えたキーバインドは、Google日本語入力での矢印キー入力くらいでしか活かされていない。「VS Codeもあるし」と逃げて、結局はVS Codeばかり使っている。そのVS Codeにも拡張機能はほとんど入っておらず、活用できているのか判断するだけの知識すらも持っていない状況だ。

動画作り、モーショングラフィックス、MMD……。気になっているというのに、その高そうな学習コストを前に怯えて、気が変わったフリをしている。「やりたいと思っていた時期もあったんだけどねぇ」などと白々しくも語る。他でもない私自身が、気など変わっていないことを知っている。お前は私を裏切るのか?

愚かだ。何に対しても、たとえ好きなことや興味をいだいたものに対しても億劫。何も手につかないし、つけようともしない。だから何にもならない。まるで、味のしなくなったガムを「かつておいしかったから」というだけの理由で噛み続け、さらには「これでも気は紛れるから」などと言い訳をしているかのようだ。ポケットの中には十分な金銭があり、店の棚にたくさんのフレーバーのガムが並んでいることを知っている。だというのに頑なに動こうとしない理由は何なのか。

これまでの人生を振り返ってみると、今に活かされている知識の多くを習得した、もしくは習得のための長い旅路を始めたのは、ある数年間に集中していた。黄金時代とも言えるその時期、私は苦労の絶えない日々を送っていた。スペックの低いお下がりのパソコンしか持っていなかったあの頃、私は少しでも快適な生活のために多くのことを調べ、試し、IT知識を獲得した。ハイスペックなパソコンを購入しようとしたものの品切れによって長く待たされたあの頃、私は少しでも楽しい生活のためにLinuxに挑戦し、より専門的なIT知識を獲得した。それらは間違いなく私の生活に豊かさを与えてくれている。

だというのに今の私は目先のコストに顔をしかめ、その先にあるかもしれない豊かさに目を向けないでいる。コスパが悪い? そんなことはない。長期的に見たとき、コストとパフォーマンスでは断然後者が大きい。なんなら失敗や挫折から学べることも意外と多いことを知っているはずだ。お前はコスパを重視しているつもりで、実際はただやりたくないことから逃げているだけだ。同時にやりたいことからも距離が置かれてしまっていることを認識すべきだ。

「求めよさらば与えられん」。口を開けなければものを食べることはできないし、自ら噛み締めなければ味わうこともできない。誰かが口移しで与えてくれるのを待つくらいなら飢えてしまえ。飢えたくないなら食べてみろ。食わず嫌いができるほど、今のお前の心は豊かではない。

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