ひながたの道を通れば、後々どうなるのか。
結論から言うと、
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
落ちようと思っても、難儀不自由しようと思っても、することができない、結構な道にお連れ通りただける。
また、貴方、貴方と人に仰がれるようになる。金など箒で掃き寄せるくらい集まってくる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
具体的に、おさしづ本文を4つ抜粋して、紹介していきます。
少し長いが、特に最後の方が面白いので、是非読んでいただきたい。
解釈本は、次の本を引用している。
(山本久二夫、中島秀夫『おさしづ研究(上)』 196~205頁引用)
1
解釈
2、
解釈
→ のちに本席となられた、飯降伊蔵先生のことを指している。
おさしづにもあるように、飯降伊蔵先生は、周囲の人から気軽に扱われておられたとのこと。
そんな方が本席にまでなられるのも、教祖ひながた、その教えを固く守って通られたからである。
3、
解釈
4、
解釈
三年千日、教祖のひながたを辿るならどうなるか。
落ちようと思っても、難儀不自由しようと思っても、することができない、結構な道にお連れ通りただける。
また、貴方、貴方と人に仰がれるようになる。
他にもお金に関して、面白い話があるので紹介する。
おやさま曰く
金の心配など、何とも思うな。
金など箒で掃き寄せるくらい集まる。
だから、今の苦労を楽しんで通りなさい。
とのこと。
驚くことは、これが実際に現実となって現れてきていることだ。
教祖二十年祭が執行された当時の親里の様子を、「大阪毎日新聞」(明治34年2月19日号)は、次のように伝えている。
このように、教祖が仰ったことは、ほんとに実現している。
三年千日、教祖ひながたを辿ることで、落ちるに落ちられない、難儀不自由するにもできない結構な道を見せていただける。
また、人から貴方、貴方と皆んなから仰ぎみられるようになる。
お金も箒で掃き寄せるくらい集まってくるとのこと。
逸話篇115「おたすけを一条に」にて、教祖は次のように諭される。
道は「辛抱と苦労」である。
今は細道かもしれないが、ひながたの道を辿るのなら先は必ず結構!
先のおうかん道を楽しみに、ポツポツひながたの道を歩んでいきたい。