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人間思案を捨てた先に『神の働き』がある{先人のイボ痔の話から}


私が一番尊敬する、おたすけの先生の言葉。

天理教で一番大事なの何か?

それは、『天理教教典』第一章、最初のページに全て書いてある。

すなわち、

あらゆる人間思案を断ち、一家の都合を捨てて、仰せのままに順う旨を対えた。

時に、天保九年十月二十六日、天理教は、ここに始まる。 

我が身どうなっても!

この精神が、人だすけをする上で重要になるとのこと。


本日のメインのお話は『因縁に勝つ』所載の文。

『因縁に勝つ』という本は、愛町分教会・初代会長・関根豊松の逸話を、近くにいた数々の側近者が記述し、まとめられた本です。

絶版および稀覯本です。

関根豊松先生のエピソードはこちらから⤵️


タイトルは、「用木生涯の守り札」

筆者は、関根豊松初代会長の一番弟子と言われる、大野佐七先生。


あらゆる人間思案を断ち、

我が身どうなってもという「捨身」の心に

神の働きがある。ご守護がある。

そんな話です。

また、関根先生の厳しい一面も伺われる話です。

特に最後が衝撃的です。👏

ここからは、全て引用文です。

それではどうぞ👁️👁️



大野佐七「用木生涯の守り札」



私がイボ痔のお手入れを頂いたときの話である。


歩くだけで痛くてしようがない。


どこが間違っているのか、

何を教えて頂いているのか、

いろいろ思案してみても判らない。


ともあれ、申しわけないナと思いながら、会長様にお断りして信者詰所の隅っこに寝ませてもらうことにした。

二、三日身体を温めて休めていたら、よくなるだろうと簡単に考えていたが、一向に快くならない。



その頃の愛町分教会は、ものすごく布教一途に張りつめていて、

朝勤め後の会長様のお仕込み話を頂くと、そのお話の理を流すために、

朝飯を済ませたら、住み込み者のほとんどが布教に出て行った。


神殿当番の先輩先生だけが残って、参拝にみえる信者さんとお練り合いし、神様にお願い勤めをさせてもらうのである。


若い者が事務所辺りに座っていようものなら、たちまち雷の落ちるのは必定であった。

「お前達、教会を何と心得ているか。

遊び場所じゃない。

遊びたければ東山公園でも行け。

教会のご飯を頂いたら、必ず一日に一人はお授けを取り次がしてもらわなければ、教祖に済まない。

使わんお授けはカビが生えてくるぞ。

こら、日々通る中に精魂入れんか」

決まってこういわれたものだ。

そういわれなくとも、朝夕の会長様のお話を聞かしてもらっていると、

会長様の若い時代の灼熱の布教のあり方に心ゆさぶられて、

〝我も行こう〟〝俺もやろう〟

と、その頃は本当に寝ることも食うことも眼中にない位いのものだった。


その頃は、会長様が本当に厳しかった。

鍛えて鍛えて下さったものだ。

お助け先でも奇跡的な御守護が次々と頂けて、

教勢は火の手をあげるがごとく拡がりつつあった。

愛町分教会の境内は勇みの理がみなぎっていた。

そのような時に、私がイボ痔のお手入れをもらって、

真昼間から布団をかぶって寝ていたのである。

済まなくもあり恥ずかしくもあり、心が焦ってしょうがない。

もがいたって、焦ったって自分の身体が自分でどうなるものでもない。


とうとう一週間経ち、十日過ぎて

三月十二日の月次祭の日がきてしまった。

さあ寝てもいられない。

月次祭当日は教堂はもちろんのこと、信者詰所も炊事場も、庭先までも、人で一杯になる。


どこが痛かろうが悪かろうが、寝ている所がない。

そこで痛い尻をいたわりつつ、朝勤めに教堂へそっと出てきた。


会長様が上段勤めを終えられて、教堂のお席へ座られた。

「お早うございます」

役員信者が揃って朝のご挨拶を申し上げる。

「お早う」

会長様はそういい終わるとすぐ

「大野、お前痔が悪いって、ほんとか」

と、大きな声でおっしゃったのである。


月次祭の朝で二百人もの人が座っている。

その大勢の前で、特別大きな声で恥をかかせなくてもよいのになア。


私は心の飾りの多い男だったから、そんな情けない心が湧いてきた。


「はい、そうです。イボ痔で休ませてもらっていました」

恐る恐る小声で返事すると、


「痔はどんなものか知っているか。

字で読めば病ダレに寺という字。

病の奥には寺が待っている。

寺とはなんだい。

死んだ人間の行くところじゃないか。

お前どうする。

大野なア、信者さんの中には、この関根が頼んだら、今からでも九州へ飛んで行ってくれる者もあろう。

自分の都合、勝手を捨てて、わしのために捨身で尽くして尽くしてくれる人もあろう。

わしのためなら火の中、水の中へ飛び込んでも厭わぬというてくれる人もあるかも知れん。

大野、お前はどうだ」

「そうか、確かだナ、本当だナ」

「はい、嘘など申し上げません」

そういいながら、私はちょっと自分の心に聞いてみた。

本当に僕はその覚悟ができているかナ。

今日の会長様は珍しく念を押しなさる。

どういうことだろう。

何か薄気味悪くなってきた。

その時、会長様は一段と叱りつけるような大声で、

「大野、ものは本心からいえ。

わしのために命いらぬ、いつでも命投げ出すとお前は言うが、

それでは今ここで、わしが腹を切れというたら、腹が切れるか。

死ねというたら死んで見せるか」

まことに恐ろしい言葉であった。

私の身体から冷汗が湧いた。

ゾーッとした気持、氷の刃でなでられたような気持であった。

本当に今ここで死ねといわれたら、どうしよう。

ゾーッと考え込んだ。






やがて心に決まるものがあった。






「会長様。大野は死んでみせます」

腹わたからの叫び声である。


「そうか、腹が決まったか。それでよい」


それは先程までの厳しい態度や音声とは打って変わった、優しさ溢れるお言葉であった。


やがて会長様が奥座敷へお退けなさると、私も立った。

歩いた。

不思議なことには、もう痔の痛みは拭き取ったようになくなっていた。

その日の祭典に上段の陽気手踊りも勤めさせてもらえた。


死ねとは形の上の死を求められたのではなかった。

用木としての心構えは捨身という二字の中にあるという、生涯の守り札を渡されたのであった。

『因縁に勝つ』513〜516頁




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