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「ひながた」という確かな証拠

はじめに


こんにちは。

にをいがけ(布教)に回りたくない病、人に会いたくない病の末期に罹ってしまっている内山理弘です。

気分が萎えていた私が、本日話したいことは、たった一つです。

それは、

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「教祖ひながた」という確かな証拠があるからこそ、我々布教師は前を向いて、先を楽しみに歩んでいける、ということ。
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1、最近気分が落ちていた


9月の20日すぎから、なんだか気分が落ちていました。

岡山寮では毎日100軒を目標に回ることが良しとされています。

ですがこの100軒が中々まわれません。

腰も重たい、気持ちも重たい。


それで何より、人と会うのが億劫になります。

私はもともと人と話すのが苦手でありまして。
繊細さんなのか、すごく人に気を遣ってしまいます。


仮に100軒まわっても、その後もう人と会いたくない。

通い先にも行く気力がない。
そんな感じです。

おたすけ先の方もなかなか思うようには行きません。

思い通りにならないと頭では分かってはいますが、心が追いついていきません。


そして、おぢへ帰れる気が全くしません。


おぢばへ人をお連れすることはこれほどまでに難しいのか!と痛すぎるほど痛感しています。


とある日には、公園で「ワンピース」を3、4話ほどみていた時もありました。

ちなみにドレスローザ編です。笑


さらに最近は、にをいがけ先で「鬱」の人との出会いが異様に多いです。

鬱の方の話を1時間ほど聞くと、なんだかこちらまで気が滅入ってしまう。

「鬱はうつる」ではありませんが、兄が精神病になっただけに自分も精神病ではないかと思い込み、気分が落ちていました。


そんなこんなで、鬱っぽい気分が2週間ほど続いていました。

2、単独布教師の姿

月は変わって、10月に入ると寮祭が勤められます。
寮生挨拶の場で正直に「今、勇めていません。」と、現状報告をしました。

そんな私をみかねたのか、単独布教師の2人が、「一緒に歩こう」と、にをいがけに誘っていただきました。


話をする中で、単独布教師のKさん。

今月の自教会大祭に、信者さんを3人ほどお連れするみたいで、1人は鳴り物を勤める予定とのこと。

凄いなぁと羨ましく思いました。


2人目の単独布教師Sさん。

布教終わりにある一軒家の草抜きを手伝いました。

その家の方、Sさんに軽自動車をプレゼントされたみたいで、
お供えも一気に20万ほどしていただいたそうです。

うわぁ、すげぇなぁと。

おらも1年後には、こうなっているかも、、、

いや、恐らく今のペースでいけば3年はかかるかな、と。


ワクワクドキドキ💓


そんなこんなで、未来の自分の期待を胸に、勇んで歩くことができました。


「先は必ず結構‼️」 


今は何の成果がなくても、先の自分を楽しみに思うと、やる気も出てくるものです。

3、先人の姿

そもそも私が布教の家に入ろうと思ったわけは、先人の先生に影響されたからです。

関根豊松先生。中川よし先生。

これらの先生は、幼少期、若い頃には壮絶な人生を歩まれています。

神一条の御用、人をだすけの苦労こそが、教祖の理に近づく道だと教えていただきました。


ヤクザから布教師になり、教会を立てられた先生。

4000万という普請の借金を立て直し、今では月に何千万もお供えがあがる先生。

生で話を聴き、ひながたの道を通れば、確かに道は開けてくる、先は必ず結構になってくると確信しました。

いまのみちいかなみちでもなけくなよ
さきのほんみちたのしゆでいよ 

『おふでさき』三号37

おふでさきでも教えられますが、

今がどれだけ苦しい道でも、その人だすけの苦労こそが教祖の理近づく道であること。

今、人だすけの上に苦労することで、後々結構なご守護をいただけること。

これらを、先人の先生の姿から学ばせてくださいます。

4、神人問答


明治20年。
おやさまが姿を隠される直前。
いわゆる「神人問答」が行われました。

神人問答は、おさしづ全体を括る総説であり、最も肝心な心の置き所を諭されています。


その当時、お屋敷の方々は、神一条と人間思案の狭間で悩まれていました。

少しおこがましいですが、今の私の状況と置き換えてみます。


にをいがけおたすけに勇み切るという神一条の精神。

一方、「にをいがけ、おたすけ」しんどい、やめたいという人間思案。


そこで「おやさま」は、神人問答の際、人間に対して大事な大事な「心の置き所」を諭されます。

その中で特に「四十九年前より」という言葉が何度も出てきます。

四十九年前より今までこの道続きはせまい。

『おさしづ』明治二十年一月四日 (陰暦十二月十一日)

四十九年前よりの道の事、いかなる道も通りたであろう。

明治二十年一月十日(陰暦十二月十七日)

長らく四十九年以前、何も分からん中に通り来た

明治二十年一月十三日(陰暦十二月二十日)



3つのおさしづの大まかな解釈として、

教祖のひながたが、うそ(真理でない、本当の道ではない)なら、49年前から今日の日までこの道は続かなかったやろ?

教祖は、49年前より、何も分からない中、いかなる難儀苦労の中を通ってきたが、その結果、今のお道がどうなっている?
結構になってるやろ?

と。

現に、天理教教会本部には
大きな建物、土地
集まるたくさんのお金

そして、
涙を流して慕いよる、真実の信仰者がいます。


「おやさま」は50年、難儀苦労の中を神一条に通ってこられました。

だから、お前たちも今は苦しくても、人間思案をするのではなく、

先を楽しみに神一条の道を通ってくれ!

先は必ず結構やで!

と、ぐいぐい背中を押してくれている気がします。

諭達第四号のおさしづ

明治二十二年十一月七日刻限御話にも同じような話があります。

このおさしづは、教祖五年祭を前に、
三年千日は、教祖ひながたの道を通ってほしいと人間に諭された御話です。

長いおさしづですが、ここにも力強いお言葉があります。

三年の道通れば、不自由しようにも、難儀しようにもしられやせん。

「おさしづ』明治二十二年十一月七日



解釈として、

三年の道を、ひながた通りにしっかりと通るならば、不自由しようにもせられず、難儀しようにも、することのできない結構な道を見ることができる

最後に


にをいがけに歩くと、

こんなことして意味あるのかな。
しんどいな。
先が見えないな、と

どうしても、人間思案に陥ってしまいます。


だがしかし

我々は「教祖ひながた」という確かな確かな証拠があります。


教祖は、厳しい迫害干渉の中でも心を倒さず、常に誠の心で神一条に通ってこられました。

その結果、今の天理教はどうなっているか。
立派に成ってきているやろ、と。


先人の先生もきっと同じ悩みを抱えておられたと思います。

先が見えない、
この道に意味があるのか。
人だすけしんどい。

しかし、その苦労の中でも負けずに歩んでこれたのは、

先は必ず結構‼️

と言う「確信」があったからではないでしょうか。


今がどれだけ苦しくても、

「教祖ひながた」という確かな証拠があるからこそ、我々布教師は前を向いて、先を楽しみに歩んでいけるのです。


長らく読んでいただきありがとうございます。


最後に
『稿本天理教教祖伝逸話篇』142「狭いのが楽しみ」を紹介して結びとします。

 深谷源次郎が、なんでもどうでもこの結構な教を弘めさせて頂かねば、と、ますます勇んであちらこちらとにをいがけにおたすけにと歩かせて頂いていた頃の話。

 当時、源次郎は、もう着物はない、炭はない、親神様のお働きを見せて頂かねば、その日食べるものもない、という中を、心を倒しもせずに運ばして頂いていると、教祖はいつも、

「狭いのが楽しみやで。小さいからというて不足にしてはいかん。小さいものから理が積もって大きいなるのや。松の木でも、小さい時があるのやで。小さいのを楽しんでくれ。末で大きい芽が吹くで。」

と、仰せ下された。

『稿本天理教教祖伝逸話篇』142「狭いのが楽しみ」


先を楽しみに今日も歩んでいきたい。

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