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岡山カレー日記3(SOLT 石川食堂)

カレーを食べ始めて、3軒目にして「カレーは愛」ということがわかった。
料理研究家の神田川俊郎さんが言った
「花に水、人には愛、料理は心」とは関係ない。

岡山カレー(1,200円)

石川さんが作るカレーは、もうすでにカレーではない。
言うまでもないが、石川食堂はカレー店ではない。
だから、これがカレーではないと言っているのではもちろんない。

カレーの固定概念を持ってこのカレーに対峙することは
あまりに無謀だが、あえてしてみたい。

ご飯は玄米ご飯。
カレーの固定概念では、パサパサしたサフランライスが、
ルーと絡み合い、口中で風味を広げるナイスパートナーとなる。

玄米ご飯は、もちもちとした食感。
ライトな酵素玄米のように感じるほど、粘り気のある玄米。
味は、白米のように滲み出るような甘味ではない。
食感を感じるため、今回ばかりはカレーは飲み物的ではない。

ルーは、油絵のようなグリーン。
ペースト感のあるルーは、玄米ご飯と時間感覚が似ている。
ルーの表面には、オリーブオイルと岩塩など。

カレーが数種の香辛料を使うように、
味に時間差で変化をもたらす。
口中で感じる食感や刺激、遅くれてやってくる脳内に広がる刺激。
カレーの醍醐味とも言える。
しかしながら、
このカレーは、香辛料を使わずとも、スパイスは効かせることができるのだ
と物語っているように見えてきた。

ご飯とルーの温度、ほんの少しだが高めに設定されている。
気のせいかもしれない。もちろん、その理由はわからない。
もしかしたら、冷めづらいのかもしれない。
少しの温度の差で、何かが変わる。
口中の温度が上がることで人は何かを感じやすくなったり、
感じにくくなったりするのかもしれない。
ご飯、カレーのルー、トッピングの野菜の温度差が少なくなり、
口中で調和が図られやすいのか。
想像の域は出ないが、そんなところまで計算された食べ物に見えてくる。

数種のおばんざいとサラダと水がついてくる。
カレーを注文する人は、日頃から野菜の量が減りがちなのではないかと
母心のようなセットになっている。
水が添えられていることを当たり前に感じない。
もちろん、デフォルトで出されるのは暖かいお茶。
水は当たり前ではなく、あえて提供されている。
カレーを食べる上で、必要なアイテムだと認識した上である。

もうお分かりいただけたと思うので、
もう一度言うが、これはカレーではない。
一般的なカレーではない。
カレーという形式をとった別の食べ物に
石川さんの手によって作られた料理。

素材への理解度、仕立てる技術、
カレーではないカレーを作り上げる。
見た目が美しいのは、そのありようが美しいからだと思う。

私はここで気付かされることになる。
カレーは、愛であること。
愛には多様な形がある。全て違うと言っていいかもしれない。
どのお店もどの料理人も、カレーとは何か、
私のカレーとは何か。すなわち愛なのだ。
料理に対する愛を食べながら感じる。
お腹も心も満足する理由がわかったようであった。

全て私の勘違い、深読みによるものであるかもしれない。
しかしながら、
そうさせてしまう料理がここにはあるという事実は変わらない。


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