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エブリデイ大原美術館 6日目〜不穏な空気と女〜

1995年、地下鉄サリン事件、阪神淡路大震災。
2011年、東日本大震災、福島第一原発事故。
そして、今年。
社会は深い闇に覆われた。
負の回転を始めた歯車は、自分の力では止められず、
ただため息と、人生の無常感を味わうばかりだった。
今日はそんな漂う空気さえ描き出した作品。

今日の作品は、松本竣介の「都会」

「都会」という言葉は、田舎者が使う言葉だ。
田舎の人間は、都会が怖い。
都会の人が冷たいわけでも、悪い人なわけでもない。
田舎に比べて人が多い。とてつもなく多い。
だから、親切にしても、されてもキリがない。
私は、困ったときに誰も助けてくれないより、
私には誰も助けられないが辛い。孤独だ。

都会らしい建造物

画面左上から右下にかけて曲線を描く鉄道の高架。
首都高や阪神高速は、川の上を走っている。
土地を上手に活用している。空いているところは上でも下でも使う。

奥には学校のような建物がある。
右奥にも同じように学校らしき建物がある。
私は、きっと学生なのではないだろうか。

そこから左手に街並みが手前まで、曖昧な記憶を辿るように
途絶え途絶えしながら続いている。
定規を使って描かれたような建物のパースは融通の効かない
四角四面な世の中のつまらなさを表しているようにも見える。
1番手前に描かれた建物は屋根が鋭角に尖っていて、
ガラス窓は背が高く教会建築のようにも見える。
屋根部分についた窓の上部は赤く塗られ、この建物は特別に見えた。
彼女でも住んでいたのだろうか。

顔のないでかい人

電車の高架を背もたれにするように、一人の女性がいる。
顔は闇に隠されて描かれていない。
脚は太く、膝上くらいのスカート、ハイヒールを履いている。
彼女の膝の上では、人形のような人が描かれていて、
逆立ちをした人、投げ出されたような人がいる。
文字通り、掌の中で操られていることを暗示しているかのように。
ただ、この人誰?何を操っているの?

ここはおそらく、自宅

画面中央右側に、奥行きが手前にくるほど広くなる四角い建物と、
奥行きが手前にくるほど、狭くなる四角い建物が重ねて描かれている。
なぜここが直感的に自宅だと思ったかというと、
ここだけ、窓が空いている。

疲れて帰ってきて、バーンっと手を広げて寝転がる。
自宅はやっぱりいい。落ち着く。こんな時の部屋は、とても広く感じる。

今日から数日間、ずっとずっと家で作業をする。
息が詰まる。肩が凝る。こんな日の部屋は、とても狭く感じる。

広くも狭くもなるのが自宅だ。
自宅前には、友人が自転車(バイク?)で来ている。
部屋にも入らず、立ち話。
もしかして、喧嘩でもしているのか?
20代の頃、意見の違いはすぐ喧嘩に発展する。
あんなやつだとは思わなかったと相手を罵る。

人は皆、同じ方へ

自宅と街並みの間には、多くの人が描かれている。
大体は男性で、帽子を被り、画面奥へ歩いていく。
その姿は、戦地へ向かうのか、社会という監獄へ向かうのか
楽しい雰囲気は全くない。

二人の女性

一人は歩き去っていく男性を悲しい目をして見ている。
もう一人は、画面中央、道を遮るかのように立っている。
丸首の半袖。淵は赤く、ボタンが二つついている。
帽子を被り、右手には手提げを持っている。
妻なのか、母なのか、恋人なのか、判然としない。
その表情は決して明るくなく、何か言いたげではある。

どういう類いのものかは、想像できないが、
やはり別れを告げた後の表情のように見える。

青と白と赤

全体的に群青色が黒のように濃い部分と薄い部分とで覆い尽くされて
残った部分がかろうじて白い。
正面の女など、赤色が点在している。
特に赤に意味はなかったのではないだろうか。
痕跡を残したかった。生きた証。都会の中で自分のいた印。

愛する女性の悲しい顔

世の中を襲う不穏な空気。
女性は敏感に感じ、翻弄される。
女性の笑顔が全てを救ってくれることがあるのと同様に、
女性の悲しい顔が世界を底へ沈めていく。

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大原美術館に通うことになったきっかけはこちら




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