見出し画像

岩波新書の旅4 「日本のデザイン〜美意識がつくる未来」 原研哉著(1333)

「デザイン」

マジカルワード「デザイン」。
よくわからなく、実態がなく、かっこいい。
だからこそ、真のデザインとは何か?を人は知りたがる。
私もその一人として、この本を手に取った。

日本の美意識とは

答えは3ページ目に惜しげもなく書いてある。
「繊細」「丁寧」「緻密」「簡潔」
ただこれを聞いて、そうか!と納得して本を閉じる人は少ない。
また、これをできる「感性」にこそ日本人らしさがあるとも書いてある。

果たして、私は日本人なのか

日本に生まれ、日本に育った。
日本語を喋り、日本食を食べる。
だとしても、
私は、この日本人らしい「感性」を持ち合わしているのだろうか。

「欲望のエデュケーション」

著者はデザインを「欲望のエデュケーション」と呼ぶ。
人は叶えたい夢を描く。
車の例えが出てくる。
速く移動したい。かっこいいと言われたい。
低エネルギーで移動したい。小さいのがいい。
欲望を叶えるために、「技術」が生まれ、
「技術」が新たな欲望を生む。
欲望はどんどん変化していく。

「柳宗理の薬缶」

柳宗理の薬缶はどんな欲望から生まれたのか。
「デザイン」とはスタイリングではないと語る。
形状を計画的に作り出すという行為だけではない。
生み出すという行為・思想はあるものの、
それより前にある「暮らしや環境」の本質を考えるという
プロセスが存在する。

シンプルとエンプティ

シンプルは複雑さ(カオス)の対局として生まれた。
カオスのないシンプルはない。
日本人の描くエンプティは、「見立てる」作業をしている。
そこにない花を思う。
そこにいない人を思う。
見えていないものを見る力。

「家」の話

今の日本には、日本家屋と言われるものが少ない。
LDKの発達により、部屋によって機能を分けられた
言い換えれば、どれも均等にどれも同じに作られた家ばかり。
日本家屋はどの用途にもなる部屋がほとんどだった。
部屋によって行為が変わるのではなく、行為によって部屋を使う。
少し飛躍させれば、好きなように暮らす。
もっと好きなように暮らす家を建てればいい。

著者は言う。
どれだけ魅力的なものを作るかより、
どれだけ魅力的に使うかの方が大切だ。

観光・リゾート

アンナ・カレーリナでトルストイが言う
「幸福のかたちはどれも似たようなものだが、不幸はさまざに不幸だ」
リゾート地はどれも同じになっていくのは、当たり前なのかもしれない。

日本の観光については、「国立公園」、
特に瀬戸内国際芸術祭での体験を著者は語る。
「日本人は小さな美には敏感だが、巨大な醜さに鈍い」
無神経な公共空間における商業建築や看板の乱立。
日本の新幹線は素晴らしいが、新幹線の駅はどれも同じ。

デザインは、商品の魅力を煽り立てる文脈で語られることが多いが、
抑制、尊厳、誇りのような倫理的な側面も色濃い。
「演出しない」「主張しない」
「世界の人々にわかりやすく」「可能な限り正確に」
で作っているらしい。

現代の息苦しさ

個々の自由が保証された。
好きなだけ情報を得ることができる。
平衡や均衡に対する意識が高くなっている。

シェアすることが増えると言うことは、
それぞれ違う個人が使うことに許容し、暗黙のモラルの息苦しさを感じる。「ともだち」と言う言葉の裏に住む「非ともだち」が存在する。

社会と人と・・・関係性

さてデザインについてわかっただろうか。
文中に「プリンシプル」と言う言葉出てくる。
原理・原則。
物事には表と裏とが存在する。
それとは別に熟練された原理・原則をよくよく観察すること
些細なことに目を止めることが美意識を生むのではないだろうか。
ただ、巨大な醜さにも敏感になりたいものだ。

著者の淡々とした語り口と、本人の熱のある語りとのバランスが好きだ。
時に辞書を引きたくなるような言葉を羅列させる。それは、その言葉の持つオーラのようなものを感じ、その言葉で伝えたいという著者の姿勢が見えて読んでいて楽しい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?