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生き方を改めるシリーズvol.15 「惜福、分福、植福」って本当?

「座右の銘」や憧れの人やロールモデルの全くない私。
まぁ、それはそれでいいかな〜とおも思っているが、先日、先輩から「会社が永続する31の言葉」という本を頂いた。
これはきっと生き方を改めなさいということだなと思い、1つずつ噛み締めてみることにした。

「惜福、分福、植福」

「福」ってなんでしょう?
幸運とも言えるかもしれません。
福の反対は、「禍い」。
どちらも、自分とは別の外部から来るもののイメージがありますね。
そう、ラッキーなんです。どこからともなくいただいたもの。

「日頃の行い」でラッキーやアンラッキーが舞い込んでくるなんて言われますが、因果関係はないから運なんですね。

麻雀

オイオイ!いきなりギャンブルの話かよ!と思ったかもしれません。
麻雀を運がいい人が勝つと思っている人と、136枚しかない牌をいかに自分の思い通りに動かすかと考える人といます。
面白いのは、ほぼ平等に4分の1の牌しか回ってこない。でも運を引き寄せることはできるのです。ほんの少しの行動で。
麻雀講座はできませんが、理屈はこういうことです。

麻雀を閉じられた世界と見るか、良くなるも悪くなるも運次第だと思うか。
拡大解釈していくと、この世の中も同じかと思うのです。
私のちょっとした行動で私の運気やいいスパイラルは手に入れられる。
そう考えれば、「日頃の行い」は戒めでも無根拠でもなくなるわけです。
ただ、バタフライエフェクトや「風が吹いたら桶屋が儲かる」の類でも少しないこと、麻雀に近いと私は思っているのです。

そんな「福」だから

だから、運は使い切らない、運は分け与える、次へ育てるという発想になるのでしょう。
いろんな方法があると思うのですが、私は「機嫌よく暮らしたい」。
私もあなたも、できれば世界中の人が機嫌よく暮らせるのが1番いいな〜と思っています。機嫌よくって何?そんなふわっとした言葉あり?

どこか1っカ所痛いところがあるだけで、機嫌よく過ごせない。
怒っている人が目の前にいると機嫌よくは過ごせない。
泣いている人がいるのはもっと機嫌よくは過ごせない。

「富」と「福」は違う

「惜富、分富、植富」と勘違いしないようにしよう。
あるお金や財産は、使い切ってはいけないよ。
あるお金や財産は、分けましょう。
あるお金や財産は、次のために育てましょう。

ある意味、間違ってはないかもしれませんが、
ここで言っているのは、「福」。

どこからか与えれるもの。運を良くすることはできたとしても、
最後、「福」をもたらすのは、人間ではないもの。
神様とか仏様とか、自然。だから、「富」とは大きく違う。

「富」だけある人生より、「福」のある人生。
※富があることを否定していない。勘違いしてはいけないな〜と思うだけ。


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