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不確定日記(ピンク色のこと)

 歯列矯正用のリテーナーを入れるためにもらったケースが、派手なピンク色だった。

 わたしが子供の頃は1980年代で、世間的にはまあまああった色とジェンダーを紐づける偏見は、我が家に関してはなく、というか、「ピンクは女の子の色、というような刷り込みも、女が過剰に女の役割を演じるのも大変によろしくない」という明確な教育方針のもと、母はわたしに「女児向け」のものを買うのが嫌そうだった。そのため、ちょっとピンク地にキャラクターの絵が描いてあるビニールの靴が欲しいなと思ってもあんまり言い出せない、という逆の縛りが我が家に発生していた。子供の自主性も重んじられたから、強く言ったら買ってくれて、靴擦れしたが嬉しかった。ただ、終始ピンク色のものフリルやリボンを欲しがるほどの欲求もなく、母からはシンプルで機能的なものが選ばれがちなので、成り行きに任せていた結果幼少時のわたしはほぼ男児の格好をしていた。男児が好むものが特に好きだったわけでもないが、髪型なども含め、飾り気がないと人は人を男性だと思いがちだ、というのは大人になってからもよく実感する。シンプルな装いは、それはそれで動きやすくて、わたしには向いている。
 自分が男児である、とも思っていなかったので、その後の成長につれ、わたしはなるべくニュートラルな色を選ぶようになった。緑とかグレーとか紫とか白とかベージュとか。ともあれ、ピンクはしばらく、わたしの中で「処理に困る色」だった。とくに好きでもないし、憧れがあるわけでもないが、嫌うのも違う気がする。面倒だから手を出さないでおく、そういう存在がピンクだった。

 しかしその後、自分で絵を描くようになって、色の効果やピンク色は画材としては特別「使いやすい色」だということに気がついた。彩度が高く目立つのに明度が高すぎず低すぎない。要は白地にも黒字にもショッキングピンクで文字を描いても読めるし、とても目立つ。ピンク色は、目を集める効果を作るのに便利だった。美大受験対策の頃、私はさまざまなピンク色を買い込むようになった。茶色や緑と合わせるとピンク色はシックになる。その辺りから、色に対する屈託はあまりなくなったように思う。どんな色の服も着るし、シンプルなのも、奇矯なのも、マスキュリンもフェミニンも、それぞれの要素を楽しんだりもする。

 で、リテーナーのケースなのだが、一週間ほど持ち歩いたり洗面所に置いていたら、なんとなく自分の気が重いことに気がついた。単に、派手すぎるのだ。目の端にちょっとでも入るとちょっとドッキリしてしまう。気になる。そっちを見てしまう。どピンクだから。洗面所に置くものは、だいたい白か緑にしている。カバンの中の小物は黒ばかり。色には、作用がある。我慢しきれず、地味な色のケースをAmazonで検索した。

そんな奇特な