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不確定日記(同じ箱に入れない)

 朝、ドアのチャイムで起きた。下半身はレギンスだけだったので、その上にズボンを履いたが、寝癖もむくみもそのままで、そうやって出ると、宅配便の人はいつも少し困った顔で、でも明るく、「すいませんねー!」と言ってくれる。本当に申し訳ない、と思うがわたしは本当に寝起きが悪い。

 ところで、先日、はじめて会った人が、同じ年頃の同じ職種の人とそっくりだ、と思った。髪型も、背格好も、服装も。思い出してみると、他にもそっくりな人が何人かいる。そう思い始めると、誰がどのひとだか、わからなくなってくる。恐ろしくなった。

 よく、アイドルの見分けがつかないのが中年のしるしだと言われる。確かに子供のころ「みんな同じような顔で同じような歌じゃない」と親に言われた。こんなに違うのに?と思った。若者の文化は年寄りにはわからないのだ、と思っていた。歳をとると時代に置いていかれるんだ、と。同時に、私たちは同じようなもののほんの少しの差で喜ぶような、深みのないものを好んでしまっている、と責められているようにも思っていた。
 でも、違うのかもしれない。確かに知らないアイドルの見分けはつかない。けれど、年上の仕事相手の区別もつかない。ただ、記憶の上に増えていくいろんな顔を、雑な分類の箱に放り込んでいるだけじゃないか。すべての人の微差に気づかなくなってくるのが加齢なんじゃないか。そして自分の衰えを世界がつまらなくなったと勘違いしてしまうんじゃないか。恐ろしい。もちろん、たくさんの人に会った、という経験値は上がっているし、鈍くなるのは便利なことでもある。気づかなければ気持ちを穏やかに保ち続けられるってこともある。しかしせめて、これは自分側の変化だってことはわかっていたい。

 以前、ちっとも寝付けなくなってしまったことがあり、どうせ毎晩何時間も暇なので、羊を数える代わりに歌って踊る若いタレントを覚えよう、と思ってひたすら動画を見ていたことがある。見たら結構覚えた。覚えるのが目的なので、それで誰かをとくに好きになるということもなかったが、見分けはつく。要は、細かく見ようとすれば見える。ちょっとホッとした。
 寝つきは良くならなかったので、医者に通って治した。眠れるようにはなったものの、寝起きはまだ改善しない。

そんな奇特な