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今が一番大事だから、いつかきっと懐かしくなる未来のために|育児日記

双極性障害の人間に、育児なんて贅沢だったのかもしれない。

それほど、妊娠出産、その後の家事育児は私にとって「大変」だ。

でも、我が子を産んだことを後悔したことは一度もない。人間は、社会性があって本能を理性でコントロールしている生き物だと思うが、体力気力が続くのなら何人でも子どもが欲しいくらいに育児は楽しい。

後天的なものとはいえ、私は障害者手帳を持つ「精神障害者」だ。

「社会の人たちの中」には、「障害者は子どもを産むな」という声もある。その賛否は個人の意見によるだろう。

子育ては社会を作ることだ。今育てられている小さな子どもたちが、ゆくゆくは社会を担う大人になる。

息子が将来どんな大人になるのかはわからない。私の子育ては、空想上の誰かから後ろ指を差されることがあるかもしれない。

でもきっと、息子は、自分の好きなことを見つけてそのために努力ができるような人間に育つという期待がある。

私は子どもだったことはあるけど、人間を育てるのは初めてなので、上の世代や専門家に聞いたり、インターネットの情報に助けられたり惑わされたり、関連書籍をたくさん読んで勉強している。

でも、何よりも我が子を見て、この子がどうしてほしいのか、どういう子なのかを大切にしている。

まだ「あーあー」「だっ」「うー」「まんま」などの喃語しか話せない、愛しい我が子。

最近は意志が出てきて、少し離れた位置にある物を取りたがったり、持っている物を手放したくないと怒ったりする。

食事の時も、スプーンを左手で持ちがったと思えば、手づかみしたがったり、その時の気分によって変わる。

人間になりたての彼は、なんて気まぐれで、動物的で、面白い生き物なんだろう。

歩くことが多くなって、少しずつハイハイが減ってきた。息子はあっという間に成長する。
時が止まってほしいような、すくすく育ってどんどん大きくなってほしいような。

忘れたくない。ずっと覚えていたい。私の人生が終わる時は、走馬灯に総出演してもらいたい。

幼い息子は、大きくなったら1歳の頃のことなんて覚えていない。でも私と夫が与えた溢れんばかりの愛は、地続きとなって、息子の心の支えになるだろう。

双極性障害はつらい。
毎晩眠る前には、正体不明の不安に襲われ、寝付きが悪く、足が震える。
深い眠りについた息子の存在を背中に感じながら、愛犬を抱きしめてふわふわとした感触の中で眠りにつく。

こんなに幸せなのに、一生この病気と付き合っていかなければならないことにゆるい絶望感を抱きながら、一日を終える。

混ざりきらない絵の具を二度と再現できないのと同じように、今の私にしかない幸せと苦しみがあるのだ。それを抱えて毎日を生きていく。

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