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#1 妊娠がわかった日のこと。

2020年8月13日。

妊娠検査薬の結果、妊娠がわかった。

病院でちゃんと診察してないから、本当に妊娠しているのかも、正常な状況で妊娠されているのかわからない。

妊娠がわかったきっかけ

生理予定日から1週間経っても生理が来ない。

もともと、予定通りにジャスト1ヶ月で生理が来る体質。これまで生理予定日の数日後に生理が来たこともあったけど、3日くらい。だから、生理が1週間も来ない時点で『もしかしたら』って予感はしていた。

避妊をしてなかったから、自業自得だ。
誰から見てもそう思うだろうし、自分でもそう思う。

避妊をしないといけないなって思いながらも、ズルズルと先延ばしになっていた感はある。その場の雰囲気とか空気感に流されてしまって、理性が完全に吹き飛んでいて、それどころじゃなかった。

これは言い訳だ。自分の身を守るための一言が言えなかった。

2人の合意の元の行為だから、彼にも私にも責任はある。けど、『ずっと独身、もしくはパートナーがいたとしても子なし』と決めていた私にとっては、私の落ち度と言わざるを得ない。それが大人としての責任だとも思う。

妊娠が良いこととは限らない

だから、妊娠した可能性が高い今の状況に、私はかなり絶望している。

普通だったら、『妊娠=おめでたいこと』なんだろうけど、私にとっては全然めでたいことじゃない。むしろ『不幸の入口にみずから入って、奈落の底に落ちる自殺行為』だ。

だから、妊娠したかもって友人に話したときに、『おめでとう』と言われたときにはイライラしたし、『そうなんだね』と軽いタッチで受け止めてくれたときには安心した。

リアクションとして違和感を覚える方もいらっしゃるかもしれないけど、私がここまで普通のリアクションと真逆なのは、自分が毒親になる可能性があるからだ。

私の親は毒親だ。

気づいたのは30歳のとき。ちょうど、私が1年に渡る調停裁判で離婚を勝ち取ったときだ。

この記事で詳細は割愛するが、この離婚がきっかけで過去のことを振り返った結果、私は自分の親が毒親だった......ということに気づいた。

そこから、『自力で毒親から解放される』と心に決めて、本業のかたわらで副業もはじめて、『自分ひとりで生き抜く』というのを目標にして、日々努力をしていた。

同時に、『自分が毒親になる可能性が完全に否定できない以上、子供はいらないし作らない』と決めた。

『自分ひとりで生き抜く』というのは大袈裟だろうか?当時の私はそうは思わなかった。

映画『ほたるの墓』の主人公の幼いきょうだいのように、苦境に立たされても自分ができることはあるはず。

このきょうだいは飢えでなくなってしまうけれど、私はそれなりの大人で、ひとりでも生きていく術は持っている。できるであろう対策を片っ端からやったら答えが出るはず......そういう強い思いが強烈なエネルギーになっていた。

その過程で得たことも学んだことも、今の私にとっての大きな糧になっているし、影響も受けている。だからこそ、『子供はいらない』って思考がより強くなっている感は否めない。

世の中の流れには逆らえない

『子供はいらない』と思ったのには、もうひとつ、『 やりたいことができなくなる』からだ。

今の世の中で『寿退社』する女性は少なくなっているように思う。少なくとも、私の身近なところでは、働く意思表示をしたうえで退職する女性ばかりだ。みなさんの周りも似たような状況なんじゃないか、と思う。

けど、実際にそのようにはなりにくい。

夫は仕事で不在がちだとか、『家のことは女性がやるもの』って昭和の価値観をにおわせて自分の都合の良い解釈をする。日々の生活だけを見ると戦力にはならないから、ワンオペ確定。自由を奪われる、少なくとも、自分ひとりの時間は完全になくなると言っても良いだろう。

これが、冒頭の方に話した『不幸の入口にみずから入って、奈落の底に落ちる自殺行為』だ。そんなことしたくないって思うのが自然なんじゃないかと思う。

私の女性友人のひとりが、『子供がいてくれるならお仕事はしなくてもいいと思ってる』と言っていた。『子育て=女性の幸せ』なんだろうか?

幸せと思える瞬間が千差万別だと受け入れられるようになってきていて、今はそういう風潮が減ってきたように感じる。が、子育てについては変わっていないように感じる。

先日、試しに『初めてのたまごクラブ』という、妊娠したての女性向けの雑誌を購入した。

9割以上は女性のための情報で、男性のための情報はわずか。所感だけど、割合的にはちょろっと。

女性のライフイベントの中で一番大きいし、『まぁ、そうだよね』って。一方で、核家族化が進んでいて、しかもコロナの影響で頼れる人が減っている中では男性も戦力にならないと生活が成り立たないのに、男性には関係のないこと、できることはあんまりないかのように雑誌の発刊元もとらえられているんじゃないか……そんな感じがした。

もちろん、男性にも色々な考えの方がいるし、みんながみんな昭和の価値観とは言わない。

けど、男性に限ったことじゃないけど、社会そのものにいまだに昭和の価値観が根付いていて、女性の役割と強い印象が残っている中で、女性がやりたいことを続けるのは無理ゲーだと感じずにはいられない。もしこのまま出産するとしたら、私もやりたいことを諦めなきゃいけないのかなって気持ちもある。

後悔のない選択をする

やりたいことを諦めたくない。

諦めたら試合終了だし、絶対に後悔する。正直、妊娠の時点で後悔してるのに、これ以上の後悔はもうしたくない。だから、私は中絶も検討している。

中絶ってインパクトがでかすぎるかな?

もしかしたらドキっとした方もいるよな〜とも思うけど、この検討も視野に入れているのは結婚してるわけじゃないからだ。いわゆる『できちゃった』だ。

一番やりたくなかった展開。
だからこそ、自分を責め立ててる。

せっかくの授かった命を自分の都合で失ってしまうのはいかがなものなのか。倫理的にどうなのか?

批判を受けるのは容易に想像できるけど、だからと言って、妊娠したからと言って出産しなければならない......というわけでもない。これは自分たちの意思で決められることなんだから、周りがあれこれ言うことじゃない。

パートナーには報告しているし、近日中に話し合いの場を持つ予定。まずは出産するかしないかで揉めるのは必至だけど、話し合う。納得して後悔のない選択をしたいところ。

責任の所在はどこにあるのか

パートナーからは『責任は取るから 』と言われている。

やり取りからするに、結婚するとかそういうことなんだろう。気持ちが先走って、あれこれ思考を巡らせているのが手に取るように伝わってくる。

同時に、『責任』って言葉が気になった。

気になりすぎなんだろうけど、気になる。まだ付き合ってる段階で妊娠してるんだから、どっちか一方に責任があるってことはない。だったら、避妊具買ってあるんだし使えよって......自分にも責任があると思いながらも、他責の心も芽ばえる。

今回の妊娠に限ったことじゃないけど、事前対策をしようって話。責任は本当に重大な事態が起こったときだけに取るもので、未然に防げたであろうことに取るものでもないのかなとも思う。

また、彼のこれまでの言動から『この展開を望んでいたのではないか?』とも推測している。そのうえで、責任を取るために気が引き締まっているんじゃないか、と。

言葉の真意は彼にしかわからない。私の基本スタンスは固まっているけれど、シンプルに彼の言葉を受け止めて内容を整理していくしかない。

相手を理解するためには、相手を知ることが大事だ。責任は2人で背負うもので変わりがないのだから。

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