230108_曖昧であること、明確であること
今の時代、白黒はっきりつけなくてはいけないことが多いような気がする。
AなのかBなのか、YesなのかNoなのか。
もしくは定量化・数値化すること。
数値化してどっちが優れているのか、どっちが劣っているのか、
はっきりさせたがる。いや、はっきりしなくてはいけないような雰囲気。
人は1日に何百何千と「判断」しているらしいので、
もはや、なにか決める/白黒はっきりさせることは生きていて無自覚にし続けていることなのだろう。
一方で、例えば芸術なんかは明瞭明確でないことが多いはずだった。
過去の偉人の有名な作品がどれだけの価値があるものなのかは人それぞれ。
歌や音楽も好き好きある。良いと思う人にとっては良いし、そうでもない人にとってはそうでもない。
そんなはずが、例えば有名な絵画は値段がつくことで(本質でないことは重々理解しつつ、敢えてこういう言葉を使うが)優劣のようなものが付いてしまう。
音楽で言えば売上や再生数。
私が好きな映画で言えば興行収入。
当然そこにビジネスの観点が組み込まれることで、優劣や価値の高低がついてしまう。
曖昧でいい部分もあるのに。
曖昧であることって、私はすごく重要だと思う。
もちろんその事柄にもよるけど。
この世の多くのことは曖昧なままでいいのでないか、と思ったりもする。
その曖昧さを補うだけのコミュニケーションが取れるんだから。
明確だったらいいのに、ってことがたくさんある。
これが数値化されなくて困る、って思うことだらけ。
自分の体調や、相手からの好意度や、努力の質と量や…
結果論で語られてしまうことの中身がもっと明確明瞭だったらどれだけ生きやすいか。
特にビジネスの場面で、曖昧ばかりが通用することがないということは理解している。そうでなくては経済活動がそもそも成り立たないだろうし。
なにが言いたかったのかまとまらなくなってしまったが、
いまギチギチのことに対しては曖昧さや遊びの部分がもっとあれば良いと思うし、
よくわからない「人間」の部分はもっと数値化されてくれれば生きやすいなと。
なかなか30代うまくいかないね、
それを楽しめる自分の中の遊びと曖昧さを養いたいものです。
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