初ノートのテーマは「選択的夫婦別姓」

先日、タレントの田村淳氏がTwitter上で「選択的夫婦別姓」についての2つのアンケートを取りましたね。興味深かったので初のnote記事としてみました。

選択肢夫婦別姓に賛成か反対か:回答数約9万5千
賛成:36%  反対:52%  わからない:12%

他の夫婦が別姓である事で自分に不利益が起きると思うか:回答数約16万4千
ある:33%  ない:58%  わからない:9%

私はこれは面白いアンケート結果だと思います。
他の夫婦が別姓にすることで自分に不利益があるか?と問われれば「ない」が多いにも関わらず、夫婦別姓に賛成か反対か、と問われれば「反対」の方が多い。

何故こういう現象が起きたのかを考察していきます。
まず「賛成か反対か」というのは明確な意思であり、要は◯か×かという回答。

次に「自分に不利益があるか」という質問の回答は「ある」と「ない」ですが、心理的にはこの後に「と思う」が付いていると感じました。要は、回答者の感覚的には「多分ある」「多分ない」という選択肢なのではないか、と私は思ったという事です。

何故かというと、これには実際には「もしかしたらあるかも知れない」「もしかしたらないかも知れない」という心理も働いていると思うし、「賛成か反対か」という明確な質問に比べるとこちらは「回答が曖昧になっている」と考えたためです。加えて、これに「自分にはない(ある)けど、他の人にはある(ない)かも知れない」という考え方が更に返答の精度を曖昧にさせるのではと感じました。もちろんこれは私見ですが。

この二つのアンケートは「賛成か反対か」の回答数9万台に対して、「自分に不利益があるか」の回答数は16万台。あくまで私の経験上のリサーチだけど、「日本人は◯か×かの簡潔な表明を苦手とする傾向」があると思ってます。でも律儀なところのある日本人は「わからない」には中々入れない。「わからない人」は無投票になる事の方が圧倒的に多いからです。選挙とかでも言える事ですね。なのでアンケートに回答する人の中では「わからない」の選択率は低い。もちろん、これも私見です。

例えば先程の「多分ある」「多分ない」の選択肢という感じ方の部分は私の主観でしかないけど、「私は多分反対」とか「私は多分賛成」というのは心理として起き得ない事は多分誰にでも理解してもらえるかと思います。賛成なら賛成。反対なら反対。そこに「多分」は付かない。

なので、「賛成」「反対」を投じている人の意思は明確であり、それ故に回答数が少なくなり「曖昧な返答を求めたアンケート」の方が回答数が多くなったんだと考えました。

最終的に何が言いたいかというと「この問題を気になっている人の絶対数よりも、明確に賛成か反対かが決まっている絶対数の方が圧倒的に少ない」という事。つまり新たな情報や知識を得た時に「賛成か反対かが明確になる層」がまだまだ沢山いるという事です。

少なくとも私は現状、選択的夫婦別姓を「支持しない」としていて、それには2つの理由があります。

1.推進者の第一人者と言ってもいいであろう田嶋陽子氏が「選択的夫婦別姓は第一段階であり、ひいては婚姻制度の廃止、戸籍制度の廃止という目的がある」と公言したのを知ったため。婚姻制度や戸籍制度には利便さもあり、それらがなくなった時には大きな問題や犯罪、少なくとも新体制が定着するまでの混乱が起きる可能性があると考えるからです。

2.上記ほどの強い意思を持っていない人の場合「んー、そうしたいって人がいるならしてあげればいいんじゃない?選択的、でしょ?私は選ばなきゃいいだけだから」という理由で「賛成」としている層がかなり多いであろうという点。別に私はその人たちを「考え足らず!」とか言うつもりは全然ありません。人間なんてそんなもんです。「他の人でそうして欲しいって人がいるならしてあげれば?私に影響ないんだし、賛成賛成」って言うのは「配慮」や「優しさ」です。しかし、項目1で挙げたデメリットの可能性があり、メリットは「一部の人の心情への配慮」以外に無く(少なくとも今の私には見つけられてない)、そんな「配慮」や「優しさ」につけ込んで項目1の内容を推進しようとしているからです。

上記が私が現状選択的夫婦別姓を支持しない理由です。
選択的夫婦別姓に「配慮」以外のメリットがある方は是非教えて欲しいです。内容によっては私は賛成に回る可能性は充分にあります。

私のノートがあなたの選択の理由の一欠片になれたなら、嬉しいな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?