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大人の友人は、ゆるく想い合える感じがいい

自粛や休校で、会う予定が延期になった友人とLINEをしていて、『あの当たり前だと思っていた毎日が待ち遠しいね。』という一文に、ほんとそうだなぁっと心がじんわりとした。

友人は『ママ友』というのかな・・・自分がママと言ったことも子どもにも言われないので『ママ友』という言葉が、なんだかしっくりとこない。その言葉がちょっと良くないイメージもあるからかな。

子どもが生まれてからずっと同じ街に住んでいるので、子どもを通しての知り合いも増え、買い物に出ると必ずと言っていいほど誰かに会う。手を振り合ったり、今の時期は「お疲れ様。」と言い合ったりすると、不安な気持ちがホッとする。そして、いい雰囲気だなと感じるおかあさんたちに会うと、挨拶だけでも嬉しくなったりするものだ。

そして、もう1歩、色んなことを聞いたり話したり、連絡をしたいなと思える人がいるというのは、なんともありがたい。

そんなおかあさんたちとは、出会った場所は子育てサークルや幼稚園や小学校だったけれど、子ども同士が仲良しだったからというよりは、おかあさん同士に仲良くしたいなという気持ちがあったように感じる。

子どもも、親子みんなで一緒に遊ぶのが好きという子もいれば、だんだんと、もう自分は他にも友だちができて、その集まりに行っても楽しくないから、おかあさんだけで集まってほしいよね~と言う子もいる。私自身は、子どもは子どもで、私は私という付き合いをする方が合っている。

私にはこんなに仲良しのママ友がいるんだよって、どこかみんな言いたいところがあるように感じる。もちろんいることで、おかあさんとしてまた視野が広がったり、心強さを感じてまた頑張れたりもする。

でも、淋しくてとか、誰かママ友が欲しくてとか、絶対仲良くなりたいんです~!!みたいな感じが見えると、その相手は私ではないなと思ってしまう。

「なんだかもっと話してみたかったんだよね。」というような『なんだか』という勘が合うと嬉しい。

今回、連絡を取り合っていた友人は、仕事も暮らしも頑張っていて、家族との時間も友だちとの時間も大切にしていて、朝にヨガをしたり自身の健康にも気を配っているおかあさんだ。そんな素敵な人の生活の中に、どかどかっと入っていきたくないというか。それは誰に対してもそうなのだけれど、ゆるくいい感じで想い合えていたらいいなと思う。私とはもういいと思うのなら、それでも構わない。まずはそれぞれの仕事や暮らしや家族の時間を大事にしたい。そしてふとした時にあの『なんだか』がやってきたら、連絡を取りあうくらいがいい。

学生時代にさんざんっぱら経験をして見て聞いた、女子同士のグループ行動とか、独占とか依存とか、私も親友だと思うから思ってとか、友だちなのに一方が楽しそうだったら拗ねるとか、誰と誰が仲がいいとか悪いとか探るとか気に病むとか・・・もうそんなことは、自分の子どもから話しを聞くぶんにはいいのだけれど

自分は、大人は、こんなに自由に人付き合いを楽しんでいるよって言えるおかあさんでいたいと思う。

友人とのLINEは、家族が明るく過ごせるように、そして自分も健康で元気いれるように、また会えるまで頑張ろうねと締めくくった。またゆっくり会える時まで私もしっかりやろう。



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