娘に息継ぎを教えるの巻・1
だって教えるのって大変なんだよ…
昭和に幼少期を送った私。
娘が幼稚園に入り驚いたのは、習い事をしている子供が多いことと、その習い事の中でもスイミングをしている子が多いことだった。
そんな周りの様子に焦ったのは私の方で、「何かやりたいことはないの~?」と誘ってみても娘は全く乗ってこず、でも、自由気ままに、絵をかいたり物語を作ったり、まあ「やりたいこと」はやっていた。
気乗りしないことをやってもあんまり意味がないのは、自分の経験的に分かっていたので、強制力を働かせる気にもならずに今に至る。
さて、幼稚園時代からコロナ禍になるまで、わたしと娘は夏に何度となく公営プールに行って過ごした。
娘の生まれて初めてのプールの際は、なんとわたしは約20年ぶりにプールに入ったのだ。
その後、何度目かの時、まだわたしって泳げるのかしらん?と、夫に娘を任せて25mプールの仕切られた一方通行のコースでためしてみた。
体力の問題はあれども(プールから上がった時の体の重さよ…)、なんとか25m泳げるじゃんと嬉しくなったのと、泳ぐのって気持ちがいいなあと思いがけず癒されたのだ。
自分の小学生時代の思い出が今に繋がったプールにまつわる話↓
一方、娘とは毎度水深の浅い子供用流れるプールで流されて楽しむだけという状況が続いていたが、娘、小学校3、4年の頃、水泳の授業で検定もあるので、クロールの息継ぎを覚えさせたいと思った私。
流れるプールから25mプールへ移動し、フリースペースでの指導につい熱が入った。
娘10mくらいは息継ぎなしで一応泳ぐことができたが、さすがにそれ以上は息継ぎができないと厳しい。(というか、息継ぎが出来て初めて「泳げる」ことになろうかと)
本人、出来るようになりたい気持ちはあるというが、なんとしてでもの気持ちはなく、歯がゆいばかり。(ちょっと苦しいとすぐに立ってしまう)
ああ、こうして周りと差が開いていくのであろう…と悲観したわたしは、奮起を促すつもりで、「みんな頑張って練習してできるようになっているのに、それでいいのか?!」と問うと「よくないけど、しょうがない」みたいな感じ。
こうしてわたしの気持ちばかり空回りするのにも疲れたので、こちらとしても、もういいやとなったコロナ渦前最後の夏。
そして時は流れて娘、中2の夏。
水泳の授業を何度かこなした彼女は言った。
「決めた! 夏休み練習して息継ぎできるようになる!」
なんだよ、いきなり。
いや頑張ってねって感じだったのだけど。
「だからお母さん教えて!」。
だよね…。
続く…
#エッセイ #娘 #プール #息継ぎできない #プールで練習
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