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続・心が震えるほど生きていて良かったと思えた日(完)

今の会社にフル出勤は厳しいと考えるようになり、かつての同僚が会社を立ち上げたことを思いだしアポイントを取ってみた。

グループホームを運営しているNPO。
今の会社3日、残り2日くらいグループホームで使ってもらえないかなぁと思っていた。
アポイントを取ってすぐに見学に行くことになり、移動支援と居宅介護をしないか?とも話を持ちかけようと思っていた。
それと、LINEのやりとりの際の心理学興味ある??とのmessageに心は踊った。

当日元同僚は昔と変わらない物腰だった。
グループホームの見学をさせてもらい、そこでこれまでのあれこれをお互いに話した。
「移動支援と居宅介護しない??」私
「実は先月から始めてる。まだ一人しか動いてないけど。」元同僚
「嘘!雇って!カウンセリングもするの?」私
「したいと思ってて、やろうと思ってるけど興味あるかなぁと思って。」元同僚
「めちゃやりたいし、やりたいから今年の7月に1周年になった『なんでも相談会』を今も続けてる。」

元同僚も同僚だった会社を辞めてからあるグループホーム会社に4年勤めての起業。
お互い福祉業界で経験した中で色んな思いを抱えてきたようだ。
「触法って知ってる?」元同僚
「うん。」私
※触法犯罪者とは小さな罪(窃盗、万引き等)を繰り返しては刑務所に戻ってしまう知的や発達障がい者
「前に働いてた会社で触法の人が入れないかと何度か訪ねてきたけど、代表がめんどうやからと断っててん。でも彼らに会うと本当にいい人たちばかりで、できたら受け入れたいねん。」元同僚
「ぜひ、受け入れましょう!彼らは安心安全な場所が確保できたら犯罪を繰り返すことはないと思う。可能性は低くなる。
私も今まで働いてきて、相談支援のシステムにすごく違和感がある。相談支援担当は酷ければ更新の誕生月1回だけしか話を聞かず計画相談を作ってるやん。担当者がクライアントのことをわかってないのに作ってる計画相談って意味ない。制度があるからやってるだけ。でも、彼らに関わりながら(支援)計画相談を作成すれば有効な計画相談になるし、クライアントに関わる支援者の意識も統一されるんじゃないかと思ってる。関わる方の計画相談をみんなでわけわけして、また計画相談を作成する側も支援に入る。外部は受けない」私
「あ~?相談支援もしたなってきたなぁ。」

今の社会の中で福祉業界にはメジャーじゃないものや無いもの、そして今の社会の人々にとって必要じゃないかと感じるものをお互い考え形にし、もぞもぞ動いてきたようだ。

『無いものは作ればいい‼️』
これまでの福祉に対するお互いの思いだった。

私は40歳で大学に行き、働きながら精神保健福祉士を取得した。
教授は『制度を変えろ!』と言った。

この言葉が頭から離れなかった。
制度を変えるって政治家になること??
政治家になったときのしがらみに私は耐えられないだろう。
福祉に興味の無い国政に行くことに意味はあるのか?
行いたい政策は簡単に作れるような状態じゃない。
ならば、私は福祉という概念の無い小さなコミュニティを作りたい。そう思うようになった。

制度を変えるとはどういうことか?と考えながら関わってきた福祉というものに対して今思うこと。
自分がこんなコミニティがあったらいいなぁと思う居場所。
どんな人もお互いを受け入れ、助け合える居場所が福祉という概念の無いコミュニティとなり、この社会の中で良い存在として継続できるのなら。
そんなコミニティを作りたいと興味を持ってくれる人がいるのなら。
そういった草の根活動のように広がり、人々が安心できる居場所を確保して穏やかに暮らせるのなら、自ずと制度は変わるのかもしれない。と思い始めた。

私の希望は大きい。
小さなコミュニティの点在を考えながら小さな小さなアクションをモソモソやってきたけど、元同僚と再開したことによってお互いのアウトローな構想が一気に現実味を帯びてきたと感じた。

なかなか同じような思いを持った人とは出会うことがなく一人でやってきたけど、何か起こるかもしれないと希望は膨らんだ!

『私たちが生きてる間にどこまでできるかわからんけど、同じ思いを引き継いでくれる若者が担ってくれたらいいね~』としみじみ語り合った。

翌週、彼の会社の社内研修に呼ばれ参加した。
11月から彼の会社にお世話になる。

元同僚の会社で働くことを決め、今の会社を去るまでの色んな葛藤が始まった。。。

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