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平穏な人生と波瀾万丈な人生

若かりしころ
『平穏な人生なんてつまんない!波瀾万丈な人生がいい!』と思っていた。

願いが叶った!!
波瀾万丈な人生が始まった。
でも、こんな形の波瀾万丈な生活は望んでなかった。
もっとドラマチックな波瀾万丈を望んでいたのに。。
人生思いどおりには行かないものです(笑)

私が働けなくなった34歳の1年間はとても危うい時期でもあった。
死にたいけど死ねない。
死にたいけど死ぬのが怖くて辛く苦しい日々。
親にはよく『殺してください』と言っていたあの頃。
無差別殺人が頻繁にメディアで流れていた15年前あたり。

死ねない。
誰も殺してくれない。
どうせ死ぬんだ。
34歳。再就職?今から就職できるのか?
絶望。
何かをすることなんて全て無駄で意味がない。
大好きな音楽もテレビや人工的な音が全て恐怖だった。
私が何かを食べる意味もない。
食欲もないけど、無理やり食べることは寿命を長くするのなら。
生きる意味も価値もない私が生命保持する意味は?
息をする意味もない。
でも息はしてしまう。
息を自力で止めてみても長くは続かない。。。
あぁ、なんで息をしてしまうんだろう。。。


 
私はどうしたら死ぬことができるのか?動かない体が沈み込んでいくような布団の上で考え考えていた。

誰かを殺したら、勢いもつき逃れられなくなるから死ねるかも。自分を追い込めば。。。と殺人企図もありました。

そんな危うい時期を経て今がある。

その後いろんな場所へ足を運んでいる中、
無差別殺人の議論があった。
あるジャーナリストが、
『何人かの加害者に話を聴く中で、彼らの(無差別殺人という)行動は、親に対する最大の復習かもしれないと思った。』

私は理解できた。

親との関係は悪かった。
わかり会えず、お互いを侮辱、侮辱し合うような関係だった。
それなのに私はそれでも親に依存していた。

しかし、私の場合は親に対しての最大の復習ではなかった。
私がこの世にいることは無意味で価値がなく、社会に必要とされていない。居場所がない。という悪い思考から自分を追い込み死ぬための無差別殺人企図だった。なので、無差別殺人事件があると、加害者がその後自殺(未遂)したのかしなかったのかも気になるところだ。

そして今、全く関係のない人に被害を与えることがどれほど自分勝手なことなのかと思っている。
親への復習をするために誰かを巻き込む。
自分が死にたいから誰かを巻き込む。
ほんとに身勝手なことだなぁと。

ただそういった事件、無差別殺人、虐待、介護疲れによる殺人、何年も檻に監禁していた親(人権侵害)、等々

そんな事件を目にする度に、彼ら加害者を助けてくれる人が誰もいなかったのかと思う。

アクションの結果は?
完全にアウト!

しかしそれまでに加害者は何らかのSOSは発していなかっただろうか?
この国の人々の無関心を恐ろしくも思う。。。

生きていくことが必死な世の中では誰かを思う、誰かのSOSを拾う余裕もなくなり、拾ったところで誰かのを助ける余裕もないんだろう。
誰かを気遣うことのできる余裕のある人がどれだけいるのか?
みんな、自分達の生活で精一杯なのだからたすけてあげてほしいとも言えない。
それらは大きな社会問題なんだと思う。

35歳から福祉業界に転職した私はそれからもアップダウンの波はあり、度々働けなくなっている。
社会におけるコミュニケーションが苦手だけど、どんな形でも福祉業界に死ぬまで身を置きたいと思い始めた何年か前。
どんな形で関わっていけるかを模索する日々だ。
福祉業界に関わり始めた1年後。
サラリーマンできない。。。
10年後に独立開業!10年は修行!
と掲げてから12年が過ぎた。

今年1月独立開業しました。
利益はゼロ(笑)
だけど、自分なりの活動を初めて1年が過ぎた。
2019年1月HPアップ『YMSダイアローグ』
去年7月から始めた月1回の『カフェでなんでも相談会』は中止することなく続いている。
コロナ渦で3月から『自宅でなんでも相談会』×ZOOMの開催となっているが、今月お世話になっている親友のカフェgreenstand鶴橋にてZOOM開催をした。
現地開催の予定は未定。

あと数年で半世紀を迎える私が今情熱を持って取り組んでいけるものに出会えたからこそ、こんなはずじゃなかった波瀾万丈の人生がドラマチックなものに思えてきた。
しぶとくたくましくなったかもしれない。

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