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半地下の家族

半地下の家族(パラサイト)見ましたか?
印象に残っていることがありますか?

今月から韓国語をならい始めました。
6年位前にも6年間程ゆるく習っていました。
当時の学生先生に
「語学はセンスのある人と無い人がいる」
くーーー、私センス無いけどやりたいだけ。仕事にするつもりも検定を受けるつりもなく、生活の中に好きなことを取り入れるために習っていました。
目的は韓国語の歌や映画何かを言語でわかりたいという自分のためでした。

そしてこんなことも言われました。
「岡上さんは韓国語を研究するんですか?」
気になることがあると進めないし、マンツーマンやから疑問を解消しながら習いたいねん。

学生先生も頭がよかったから私のいろんな疑問に答えてくれました。

そして、今すんでいる家から駅までの道のりに韓国語教室があることを知り、行きたいなぁと思いなから3年近く悩んでいましたが、今月から通い始めました。

先日の教室で先生から「半地下の家族」について質問がありました。
「半地下の家族見ましたか?
印象に残っていることがありますか?」

教室には10人弱の生徒がおり、見た人は半分。

私「あの映画は今の韓国なんですか?」
先生「はい」
私 「私は福祉業界の人間なんで結構ビックリしました。今のことなんだと。ソウルしか行ったことかないからわからなかった。」
先生 「ソウルに多いんですよ!」
そうなんだ~

他の方の印象も話され、先生が印象を話した。

「あの映画で何が言いたかったか。生まれた環境によって抗えない生活があるということをこの映画は言いたかったんじゃないかと思う」と。。。
貧困は連鎖することも話していました。

私はその時好きだった2NE1 のUGLYという曲を思い出しました。
調べたら今から9年前の曲でした。
初めて仕事ができなくなった絶望感から抜け出して福祉業界に飛び込んで…
知的障がい者の方にたくさん助けられて3年が経った頃です。介護福祉士も取って少しは自己肯定感もアップしていました。

しかし、今振り返ってもこの曲にどっぷりはまってしまったということは虚無感や諦めがあったのかなぁと思います。

日本語バージョンの
『世の中は不平等
生まれたときからスタートラインが違うんだ』
という部分に、そうなのかもしれないと思ったものでした。

先生が感じ、ポンジュノ監督が感じていることはずっと続いているのだなぁと。

9年前の私もそう感じていたんだと思います。
しかし、今は違います。
確かにスタートラインは違うだろう。
かといって前に走っていた人が常に先に居続けるのかというと違うと思います。
スタートラインは違っても挑戦や工夫をし続けることで状況が変わることは十分あります。
変わらないこともあるだろうけど。
挑戦や工夫をし続けて諦めなければ変化はあるのだと信じています。

貧困の連鎖はあります。
しかし、貧困の連鎖を断ち切ることはできます。
いじめられっこが、必ずいじめっこになることもない。
何が違うのか?
自分はどうすればいいのか?いじめっこは何故いじめるのか。起こっていることだけに目を向けるのではなく、それらの背景にも目を向けることができれば負の連鎖は断ち切れるかもしれない。

学生や若い世代は自分のことで精一杯だろうから1人では厳しいことが多く他人の背景を想像することは難しいかもしれない。
だけど、いじめる側の状況を知ることができたらどうだろう。
いじめっこは何か問題を抱えていることが多く、どうやって解消したらいいかわからない感情を誰かにぶつけてしまう。
いじめられっこだったから、何かの切っ掛けでいじめっこになったこたちもいる。
たまたま自分にぶつけられていると知ることができたなら、自分が悪いのではなく、自分の責任ではなく、自分の落ち度でもなくたまたま捕まってしまったのだと、誰でも的になりうるんだと知ることができたら、
何か違う対応ができるかもしれない。

話す切っ掛けになるかもしれない。
いじめっこと関わらないように学校を休むなどして距離を取ることができるかもしれない。
学校はいつだって行けるし、学校に行かなくても勉強はできる。
義務教育は行かなくても卒業できる。
高校や大学は通信教育などで卒業もできる。
時間がかかるかもしれないけど、負の連鎖や死を断ち切る方法はあると思う。
今、社会の歪んだ波にのまれている大人もそうかもしれない。
いじめられっこがいじめっこになっている大人もたくさん見てきた。

一人一人が気づいたタイミングで何か小さなアクションでも起こすことができれば少しは住みやすい社会になるのかなぁと妄想します。

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