芦原妃名子氏の訃報について

私は国語が苦手で、いつもテストの点数は平均かその下だった。
とは言っても小説・漢文を読むことや漢字の読み書きは好きだったし、多感な思春期には誰にも公開する予定もない小説を細々と書いていた時期もあった。
そんな枕に顔を埋めたくなるような過去はさておき、国語の何が苦手だったか。
それは、テストの出題者に対するひねくれた反抗心を持っていたことだ。
「この時の筆者の心情について20文字以内で述べよ」「登場人物Aが~~した理由を次の中から選べ」などという問に対し、「なんでお前(出題者)が代弁者ぶってそんなこと偉そうに聞いてんだよ、実際はアイス食いたいって思ってるかもしれねぇだろ」みたいな、こちらも今となっては枕が脂にまみれるほど顔を埋めたくなるようなことを考えていた時期があった。
国語のテストで思考を止めていた過去を持つそんな私も、今回の芦原妃名子氏の訃報、今回の騒動の顛末および世論に接し多少考えることがあったので、あくまでも私見と個人的な記録して残すことにした。

氏に対する個人的な思い入れ

正直な話、ない。学生時代に少女コミック担当としてバイトしていた中古書店で見た「砂時計」のタイトルが頭の片隅に残っていた程度で、渦中の「セクシー田中さん」の原作も実写ドラマも拝見したことがない。
ファンの方からすれば「そんな奴が語るな」と思われそうなところではあるが、それは本当によくわかる。当然、ファンの方が悲痛な想いをなさっていることも本当にとてもわかる。
しかし、そんな立場だからこそ氏の心情に寄り添い切れていないのではないかと感じる部分が非常に多かったことが、この記事を書く切っ掛けになったことも付記しておきたい。

氏の心情はどうであったか

「死人に口なし」ではないが、亡くなった方から心情を聞き出すことができない今、我々はあくまでも推論でしか話すことはできない。
しかし氏は急逝直前にX(旧Twitter)の投稿を全削除し、最期に残した
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攻撃したかったわけじゃなくて。

ごめんなさい。
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の投稿が鍵であることは自明であると考える。
まだ自殺(あえて自死とは表現しない)と断定できた訳ではないが、死の道を辿った一番の理由は何だったのだろうか。

○脚本家から意図しない改変を加えられたこと?
○番組制作サイドへの抗議が実らなかったこと?
○改変に耐えられず自ら脚本の筆を執ったが、脚本家への支持および氏の脚本への批判があがったこと?

私としては全て原因になっているとは思うが、最期の投稿から察するに引き金は別にあるのではないかと感じた。

責任と私刑

突然の訃報に、驚きと悲しみ以上にタイムラインを埋め尽くしたのは、脚本家と番組制作サイドへ対する怒りの声だった。
統計を取ったわけではないのであくまでこれは個人的な印象の話でしかないが、その印象こそが「これでは氏が浮かばれない」と私を大きく悲しい気持ちにさせた。
「なんでもっと原作者(氏)に寄り添えなかったんだ」「なんで約束や契約を反故にしたんだ」は真っ当な意見ではあるのでそこに異論はない。
しかし目に付くのは「番組制作サイドも脚本家も氏を批判した人間も全員人殺しだ」「脚本家は筆を折れ」そんな罵詈雑言たち。
番組制作に携わった人間に責任をとる必要があることは間違いないが、責任のとり方を当事者外の我々が決めるところではない。
ましてや非難や中傷ではなく、批判をした人間に責を問うことはこのご時世においてナンセンスである。
上記の罵詈雑言を投げ掛ける人たちによって、件の脚本家やその他の方が亡くなったとしたら同じく責を問われることになってしまうからだ。
もしそうなったとしたら「人を殺した奴は死んで当然だ」とでも宣うのだろうか。それはこの法治国家において御法度であり、どう責任を取らせるかを裁くのは、あなたではなくあくまでも法なのだ。
親族が番組制作サイドに「人殺し」と言うのであればそれはわかるが、氏の最期の投稿に寄り添うことができる人間であれば、このような第三者的な反応にはならないのではないだろうか。
氏は死に瀕して、自分の発信が意図せず番組制作サイド叩きを招いてしまったことに痛く心を病んでいたのではないかと、私は推察した。

結果的に何を感じたか

この記事を書いている間にも、非難中傷は関係のない演者にまで及んでいたようだ。
その中には私が割と好きな木南晴夏もいる。彼女は件の実写ドラマの主演だ。
その非難中傷は正解だろうか?考えなくてもわかりそうな話だ。
作家を中心に「番組制作サイドがもっと氏(原作者)に寄り添っていれば…」という話があがっているのもいくつか見てきたが、そんなたらればはもはや今回において全く意味をなさない。
私はその声に対して、「氏の抗議を知り得た時点であなた方が氏に寄り添って声を上げていれば…」と問いたい。
今後このような問題(氏の死)を起こさないためにも、その前段にある問題(原作者の意図しない改変や場外で発生する攻撃)のコントロールをできる感性やリテラシーを皆があらかじめ醸成していかなければならない。
こんな長々と書いておいてこんな事を言うのもなんだが、とりあえず今はただおとなしく氏の急逝を悼むことが私にできる最大の餞だと信じている。
決して承認欲求ではないとは言いたいところではあるが、同じ様に考える方に対して私は敬意を表したい。

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