ヘルニアと抱っこの話

4月30日の起床時、首から右肩にかけて激痛が走る。
右肘を肩よりも上にあげていないと痛すぎて起きていられない。
ただの寝違えではない、と同時に、一日で治るような簡単なものではない、と感覚的にわかった。
しかし世はゴールデンウィークの日曜。
一件くらい診療してくれるだろうと高を括っていたが、整形外科は全滅。
休日の救急医療相談に聞いても内科と外科しか当番がいないとのこと。
そこに掛かったところで明日また整形外科に行くことになるから、と思い我慢することに。
ロキソニンもボルタレンも効かない痛みに耐えながら妻と娘と俺の3人で寝室で一緒に昼寝。
娘の寝息が聞こえ始めた頃、ゴポッという音と共に娘が大量の嘔吐をしていた。
えらいこっちゃと妻がギャン泣きする娘を着替えさせたりあやしたりする中、下がらない腕の痛みをなんとか誤魔化しながら汚れた服やらシーツやらを浴室で流す。
その日の夜、娘は下痢もした。いやな雲行きを感じていた。

5月1日、やはり痛みは全く引かないどころか痛すぎて眠れやしない。
腕を下げられない状況も一切変わっておらず、近所の整形外科へ開院ダッシュすることに。
じいさんに横入りをされたが、痛みが強いということで優先的に診てもらえた。
レントゲンを撮られ、「すごいストレートネックですね。この痛みは3週間は続きますよ。」と言われた。
ロキソニンよりも強い鎮痛剤と筋肉の強張りを抑える薬の処方、さらにはカラーを巻かれる事に。
この薬が効けば明日からの仕事はできるかな、と思いながらも、万一痛みが引かなかったら休みまっせ、と会社へ連絡。
とりあえず薬を飲んで睡眠時間を挽回しよう、なんて考えたのは浅はかだった。
夕方頃、腕の大激痛で寝ても起きてもいられず、寝室のタンスにすがるようにへばりつきながら痛い痛いと唱えるしかできない。
妻が先ほどの整形外科に、なにかできる処置はないかと電話で尋ねてくれるも、痛みが引くまで耐えるしかないとのこと。
軽い絶望を感じながらも、しょうがないからその日は乗り切った。明日の仕事は休むことにした。
話変わって、娘はこの日も下痢で食欲がない様子。熱も上がってきた。
と思っていたら妻の体調も悪くなってきたとのこと。盛り上がって参りました。

5月2日、この日も痛くて満足には眠れなかった。
娘はぐったりした様子で熱は38度台。
妻も37度台後半だったが、元々低体温の妻からすれば高熱。
そんな状況で始まった一日だったが、俺の症状が少し変わった。右手の指先に痺れがある。
こりゃもうヘルニアなんじゃねぇか、と半ば確信しながらも、逆にヘルニアじゃなかったらどうすりゃいいのだ、という不安を抱きながら、先日とは別の整形外科へ掛かることに。へいタクシー。
下ろせない腕を無理やり下ろされ、数時間にも感じる数分間の痛みに耐えたMRIの結果、やはり割とデカめのヘルニア(5.6)が発覚。

ビックリするほどストレートネック

診察結果に驚きはしなかったが、昨日のレントゲンはなんだったのだ、というモヤモヤ…は置いといて、とにかくこの痛みから解放されたかったのでブロック注射を嘆願。
その即効性とピクリとも動いてくれない腕に感動を覚えながら診察終了。11,000円強の会計は持ち金が足りず、5,000円だけ置いてくる。
帰宅したらリビングのソファぐったりしてる妻。正真正銘38度台後半の高得点を叩き出していた。やるじゃん。
俺が整形外科に行っている間、小児科に連れて行ってくれていた。
今の小児科は大人用の薬も処方してくれるらしいのだが、大人用の診察・処方は19時頃にまた病院へ来いといった具合のようで、妻はふらふらの中ひとりでまた病院へ行くことに。
具合も機嫌も悪い娘と、麻酔が効いているとはいえ起きていられない俺の2人での留守番に心細さと妻の存在のありがたみを感じる。

5月3日。全員最悪の状態でスタートを切る。
昨年11月に全員でコロナ罹患したときもなかなかエグかったが、比にならないつらさがある。コロナはまだ動けたから。
そんなときに俺のおふくろから救援の提案が飛び込んでくる。誰一人まともに動けないため、買い物も片付けも何もかもが停滞していた。これは頼もしすぎる。
片道1時間強かけておふくろが到着。音速を超えるであろう手際のよさで片付け・買い物・飯の準備をして帰って行った。
今朝まで食欲がなかった妻も徐々に快方へ向かっているようで、おふくろの作っていった親子丼をおいしそうに頬張っていた。
4/30から風呂に入れていなかったが、さすがに理性と倫理感が責め立ててきたため、薬の効く頃合いを見計らって久しぶりのシャワーをした。
腕が言うことを聞かないためかなり体力を消耗したが、気分は上向きになった。

5月4日。首と肩と腕の痛み・痺れは驚くほど変わらないが、寝起きの娘の機嫌が見違えるほどに良くなった。
妻娘とも熱が普段よりほんの少し高いくらいで、順調と言っていいだろう。
この日は特別何かをしたわけではないが、3人揃ってベッドの上でゼリーを啜ったりした。
娘の、おもちゃの木琴を叩く熟練度がなぜか飛躍的に上がっていた。
木琴のそばで寝っ転がっていた俺の頭も叩き始めたので叱ってマレットを取り上げた。
落ち込んでいた。

マレットを取り上げられて地面と同化する娘

5月5日。なぜか深夜帯に腕が疼き、あまり眠れなかった。
しかしそれでも寝覚めは悪くなかったため、今日も今日とてベッドでスマホをいじる。
ゴールデンウィークに入る前に、娘が妻の眼鏡を破壊しており、ようやく今日直しに行くといって私を残して出て行った。
しばらく外界との接触を絶って家に籠もっていたため、帰宅後の妻の顔には疲労の色が浮かんでいた。
買ってきてもらった晩ご飯を食べ、妻と娘は風呂の時間に。
先に妻が全身を洗い、準備が整って呼び出しが掛かったら俺が娘を浴室に誘導するという方向で打合せる。
普段だったら当然抱っこして連れて行くのだが、ヘルニアの手前そうもいかない。
お母さん大好きな娘をきちんとリビングで待機させるため、テレビでアンパンマンを映す。
ほどなくして呼び出しが掛かる。娘を風呂に入れる臨戦態勢が整った。
よしお風呂いこうか、とテレビを消すと、娘は俺の目をじっと見て抱っこしてほしそうに両手を広げてきた。
この時、意図せず思いが溢れてしまった。

俺はヘルニアだ。だから首から右腕がとても痛い。
体に負担は掛けず、安静にしなければいけない。
なので抱っこしてあげたくてもしてあげられない。

なんてことを1歳7ヶ月の娘が理解できる訳もなく、痛いからという理由で抱っこを拒んできた俺とは裏腹に、彼女は真っ直ぐで無垢な瞳を俺に向けて何も言わず抱っこを要求をしてきた。
ただの思い込みかもしれないが、父親に抱っこされない日々が続いていた「痛み」を娘も抱えていたのかもしれない。
抱っこしたかったという俺の我慢と同時に娘にも我慢させてしまっていたのかな、なんて思った瞬間、堰を切ったように涙が流れてきてしまった。
俺は迷わず娘を両腕で抱きかかえた。痛かったのは腕だけじゃなかった。
俺の抱っこと涙に、浴室の妻は当然驚いていた。でもその訳を話したらまっすぐ聞いてくれた。素っ裸で。
娘を妻に託しひとりリビングに戻ってきて、この気持ちは忘れてはいけない、と思いすかさずnoteを開いた。
右腕が使えない中でこれだけの文章を書くのはぶっちゃけしんどい。
でも書けて良かった。理不尽なほどのヘルニアの痛みに向き合える。我慢できる。
こんなクソみたいな病気とっとと治して、前みたいに両手でいっぱい抱っこしてあげたい。
妻と娘ふたりまとめて。

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