言葉の意味を正確に捉えることの大切さ

今朝、本を読んでいるときにふと思ったことを。

言葉の意味を正確に捉えることは、簡単なようで難しく、あまり考える必要もないようで、何かを理解したり、人とコミュニケーションをとる際には大切で。

今朝読んでいた「センスは知識からはじまる 著者:水野学さん」の中で、「普通」を知ることの大切さという一説がありました。

ここでは、「普通」とは”センスの良い悪いを測る唯一の道具”という意味で使われています。センスを磨くためには、ある一つのものだけを知っているのではなく、そこに関わる様々なものを知っている必要がある。その中で「真ん中」がわかるからこそ、あらゆる角度でそのものの良し悪しを判断することができるという文脈の中で「普通」という言葉が意味づけされています。

国語辞典で「普通」という言葉をひくと、「ごくありふれていること。通常であること。一般的」といった意味が書かれています。

普段の友人・家族との会話の中でも、「普通はさ~」という言葉はよく使うものだと思います。

ただ、「普通」という言葉は、自分の主観=”自分が普通だと思うこと”という前提がある上で使っていることが多いと思います。自分が「普通」と思っていることが、他の人にとっては違っていたり、逆に他の人が「普通」と思っていることでも自分にとっては違っていたり。ただそれは、しっかりとコミュニケーションをとってみないとわからないもので。そのような間柄以外で使う場合は、結局一般論に終始してしまうことが多いような気がします。

私は今、子育てをする中で、「普通」とは何かということを考える機会が多くなっています。上の子、下の子それぞれに個性があるはずで、自分が「普通」と考える視点で、その子たちの将来を見てしまうと、その個性を潰してしまうのではないかと考えると、怖くなることもあります。意図せず、他の子と比較して叱ってしまったり、イライラしてしまったり。

ただそのようなことは結局、自分が「普通」と思い込んでいることとの比較で決めつけているだけであって、本当に子ども自身と向き合っていないから生じる感情ではないかと思います。子育てって難しいですね。頭では理解していても同じようなことを繰り返す毎日です。

本の内容とはかなり外れましたが、「普通」という言葉にふとひっかかり、そこからいろんな事を考えた時間でした。

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