見出し画像

これからどうする?

ベストセラーになった「嫌われる勇気」の続編「幸せになる勇気」のP69に「悪いあの人、かわいそうなわたし」という章があります。

カウンセリングに来た人の多くは結局、「悪いあの人」を非難するか、「かわいそうなわたし」をアピールするか、ほとんどがこの話に終始するんだそうです。

でも、自分の人生で一歩踏み出したいなら、その思いから離れ「これからどうするか」についてを考えるべきだという話です。
貴重な人生の時間をずっと「悪いあの人、かわいそうなわたし」という考えに費やしていたらもったいないし、そもそも問題の解決にならないから。

この視点は、私が離婚を決めるときも、惰性でその場に踏みとどまるのではなく「自分の本当の求める人生のために一歩踏み出す勇気」もらった視点です。

離婚を決断するまでは、夫も少しは協力的になってくれるのでは?という淡い期待を支えに、夫のことも3人の発達グレーの子どもたちのことも、影になりひなたになり支えつつ、家事もこなし、仕事もしてきました。

夫婦としてうまく行かなかったことを全て夫のせいにするつもりはありませんが、どれだけ言葉を尽くしても伝わらないこともあります。

どれだけやってあげても、それを当たり前のこととしか思わない人もいます。特に、家事・育児は妻がやるものと思っている人には。

もしかしたら、もっと時間をかけたら何かが少しは変わるのかもしれません。でも、人生は思ったほど長くないと思うのです。それなのに、どうなるか分からない相手のことを待ち続ける気は、私にはなくなりました。

夫から、子どもが居るのに離婚なんて何考えてるんだ!とも言われましたが、逆に子どもが居るからこそなんですよね。
子どもが居ても家事・育児に協力しない相手と一緒に暮らすことは私にとっては苦痛以外の何物でもありませんから。

子どもたちも、とっくに夫のことを単なる同居人としか見ていません。残念ながら、そこは私がどうにかできることでもありません。夫と子どもたちの関係性は、あくまで夫と子どもたちのものです。
離婚に際して、子どもたちには「お母さんに何の遠慮も要らないから、好きなだけお父さんと遊んだり話たりしてあげてね」と伝えていますが「特に要はない」そうです。

さて、私はこれからどうするか?

思いがけず本の中で見つけたこの言葉は、日々、何かにつまずいたときにも私の頭をよぎります。

長い人生で、疲れたり、元気をなくしたりして立ち止まることはあると思いますが、私の頭の中からこの言葉が消えない限り、私は次の一手を常に考えさせられることになります。

そろそろ立ち止まってないで、一歩踏み出してごらん?と。

そして、踏み出した一歩が間違った方向だったとしても、一歩踏み出したことで見える世界があります。理屈じゃなく、この世界には、まだまだ私の知らないこと、気づいてないことであふれていると感じます。知識もそうだし、食べ物だってそうだし、自分の中に生まれる感情もね。
だから、少しの不安はあっても、これからも勇気を出して自分の心に従って一歩を踏み出そうと思います。

だいたい…あ〜!間違った〜って思ったとしても、何が間違いで何が正解かなんて、自分自身で決めれば良いことだしね。

夫の方は?というと1年半も家庭内別居が続いてて、とっくに破綻しているのに、離婚に応じません。ずっと従順に自分の妻でいてくれると思っていた私が反旗をひるがえしたことで、思考停止になっちゃったのかな?
離婚協議の中で、とことん私のことを非難してきますし、自分は言い訳ばかり。

完全に「悪いあの人、かわいそうなわたし」の思考ですね。

夫は、私のことを心底嫌いになったんだと思います。だから、私の望んでいる離婚を阻止しているのかも。でも、夫に嫌われたなら、それは私が自分の気持ちに素直に従って生きる選択をできたということだと思います。今までずっと耐えて、我慢して、諦めてきた選択とは真逆の選択を、やっとできたあかしなんだと思います。

嫌われる勇気とは、たとえ他者から嫌われたとしても自分の気持ちに素直に生きなさい。そうすることでしか自分の自由は得られないんだよ、ということだと思います。

その証拠に、私の心は自由を得ました。

まだ手続き上は離婚に至っていないけれど、縛られていたものから解放されましたから。

本当は、もともとみんな自由なんですよね。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?