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普通であることの勇気|アドラー心理学

昨日、いろいろうまく行かず、気持ちがへこんだ後に頭にフッと浮かんだ言葉…

普通であることの勇気を持つ

アドラー心理学の数々の本の訳者である岸見一朗さんの言葉です。

この「普通である勇気」というのは、なにも「平凡」であれということではなくて、特別に良くなろうとしなくていいし、逆に特別に悪くなろうとしなくてもいい、今のこのありのままの自分から始めればいいんだよという意味です。

普通であることを何ら恥じることはないから。

確かに失敗ばかりの私は、いたって普通の人だなぁと思います。

そして、そんなことに一喜一憂してるあたりも、本当に普通だなぁと。


私には今、目標としている人がいます。

私の実現したいと思っていることを3年も前から始めていて、どんどん具体化し、実績をあげています。

それを見て、、、

あの人はもうできてる
あの人はもうこんなに先に行ってる

と羨ましく思うし、焦ってしまう。
そんなふうに思う自分も、普通なんですよね。

他人と自分を比較して、できていない自分、まだ到達できていない自分の自己評価を低くしてしまう気持ちも生まれる。

いわゆる劣等感なのかな。

悔しいし、情けないし、悲しいって。

けれど、どんなに悔しくても、悲しくても、今ある自分を受け入れるしかない。

自分という人間は他の誰にも変われないから。

そこから始めるしかない。

この、普通であることの勇気を持つという言葉は、そういう意味だと思う。


いろんなことにぶつかって、物事をそつなくこなすこともできない、ダメなところがたくさんある自分。

そんな自分を嫌だと思っても、それって普通のことだよって気づき、ゆっくり受け入れる。

ダメなところがたくさんある自分を受け入れるのに勇気は要るけど、逆に言えば、必要なのは「えいっ!」という勇気だけ。


人生で、目標とする人やライバルを持つこと、それ自体は悪くない。
ただ、その人と競争する必要はないんですよね。

アドラー心理学では上下の関係を否定しています。
人との関係性をタテで見ることは良くないと言っています。
あの人は上手にできるから自分より上だとか、自分はうまくできなくてあの人より下だとか。

ではどうとらえるべきかというと、それは上下というタテではなくヨコの関係性で見ればいいんだそうです。

ヨコの関係性とは、別の言い方をするなら人間関係を平面でとらえるイメージです。

例えば、人生で、ある人は自分より前を歩いてるかもしれないし、後ろを歩いている人もいる。そして早く歩く人もいれば、ゆっくりな人もいる。

それはそれぞれが違っているというだけのことであって、どちらかが劣っているとか勝っているということではないんだと。

そんな視点を持つことで、他者との比較や競争から解き放たれる。

そしてどうせ比較するなら、過去の自分と今の自分を比べればいい。
そこで生まれた劣等感は自分が過去の自分より少しでも前へ進むために使えばいいんだよとも。

今、私はイケハヤさんの無料講座を始めて、Twitterのフォロワーさんを増やすことを頑張っています。
講座を始めたときは200人ちょっとだったのに、今では1,800人を超えています。
それと、ブログの100日連続投稿も目標にしていて、今日で91日目です。
自分なりにできていることに目を向けて、自分を認めてあげることも大事ですね。

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