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女優・のんさんが語りをつとめた、武満徹「Family Tree (系図)」の魅力

先日録音風景の動画を公開した、武満徹「系図  - 若い人たちのための音楽詩」を収録したアルバムが、いよいよ今週発売になります。

この曲は、20年ほど前に初めて耳にして以来、武満徹さんの作品の中でも、多くの人に聴かれる可能性のある曲だと思っていましたが、これという語りの人材が思いつかず、レコーディングする機会がありませんでした。

この世界の片隅に

きっかけは、映画「この世界の片隅に」でした。
制作チームの3人全員、「あまちゃん」は観ていましたが、「この世界の片隅に」での、のんさんの声の演技に受けた衝撃がなければ、今回、<Beyond the Standard>の第2作に収録する「系図」の語りを、のんさんにお願いするというアイデアは産まれなかったと思います。そして、のんさんの存在がなければ、「系図」ではなく、違う武満作品を選んでいたかも知れません。
その意味で、「この世界の片隅に」が、今回の「系図」の録音を産んでくれたと言っても過言ではないのです。

「Family Tree(系図)」という作品

「系図」は、武満徹さんがニューヨークフィルハーモニーから委嘱された作品で、1995年に初演されています。
武満さんが亡くなったのが1996年ですから、まさに最晩年の作品です。
テキストに使われた谷川俊太郎さんの詩は、家族を描いているとはいえ、ある種の残酷さを含んでおり、一筋縄では行かない世界で、ニューヨークフィルでは、英訳時にその不穏当さにクレームがつき、初演まで2年以上かかってしまったといういわく付きのもの。それを包む武満さんの音楽も、美しくも、時に恐ろしい深淵も垣間見せるような、現代の家族の多様な有り様を感じさせます。
とはいえ、いわゆる現代音楽の潮流からすれば、ある種反動的な美しいメロディーやハーモニーに満ちた作品で、武満さん自身も、この作品について、次のように語っています。

私のこの音楽では、詩のこころを生かすことに専一して、専門的なこだわりなど捨てて作曲しました。結果としては、たいへん調性的な響きのものになりました。しかし私は、たんなる郷愁で調性を択んだのではなく、調性というものを、この世界の音楽大家族の核にあたるものと信じているからそれを用いることに躊躇しませんでした。(略)<Family Tree>で私が意図したのは、この作品を聴いて下さる方や、特に若いひとが、人間社会の核になるべき家族の中から外の世界と自由に対話することが可能な、真の自己というものの存在について少しでも考えてもらえたら、ということでした。そして、それを可能にするものは愛でしかないと思います。
(日本初演でのパンフレットより)

その響きは時に不安をかきたてつつも、最終的に救いをもたらしてくれる美しさに満ちています。

のんさんの「系図」

のんさんは、その世界を、語り手として、少女の目線で、まるでそこにその家族が存在しているように描きました。
これまでのどの語り手とも違う、絶妙な距離感で、過度な表情をつけず、かといって、傍観者としてただ客観的に眺めているのでもなく、家族の一員として観察している感覚です。だからこそ、聴く者にいろいろな感情を喚起するのだと思います。
そしてそのスタンスは、のんさんが、真の自己というものを持っていて、自由に生きようとしているところから来るのだということを、録音現場で強く感じました。

バッティストーニについて

この<Beyond the Standard>シリーズの主役である、バッティストーニついても、触れないわけにはいきません。
彼は、2012年、24歳の時に、二期会のオペラ「ナブッコ」で日本に初めて登場し、その衝撃的な名演で、一気に日本のクラシック界にも地位を確立し、以来何度も来日を重ねている、若き天才指揮者です。
私もたまたまその「ナブッコ」を聴き、あまりの才能に驚き、以来、彼の録音を、コロムビアで数多く残してきました。
エネルギッシュな若さのイメージが強いかも知れませんが、彼の魅力は、全ての音に命が宿り、全ての楽器、声部が歌い、オーケストラ全体がひとつの楽器となって、陶然とした世界を創り出すことです。
生命力に溢れたその音楽は、緻密な楽譜の読みと、歴史的背景に関する驚くほど豊富な知識に裏付けられ、決して勢いに任せたものではなく、まさにそこで音楽が生まれているかのようなワクワク感を感じさせてくれます。
近い感触の指揮者といえば、亡くなったカルロス・クライバーでしょうか。
興味のある方は、今回のアルバムはもちろんですが、以下の2作品なども、是非お聴きになってみてください。

「悲愴」と「系図」

このアルバムはチャイコフスキーの「悲愴」と、武満徹さんの「系図」という、通常ではあり得ないカプリングです。それは、このシリーズの、クラシックのスタンダート曲と、日本の作曲家の名作をカプリングして、新たなスタンダードを提示するというコンセプトに則ったものです。
どちらの曲も、作曲家の晩年に書かれ、「歌」を強く感じさせる作品で、ライナーノーツで片山さんが書いているように、それぞれの作曲家の「ラストソング」とでも言えるものです。
「悲愴」に描かれた、絶望の中のほんの僅かな希望は、「系図」に受け継がれ、終曲の「とおく」で、「どこからか うみのにおいがしてくる でもわたしはきっと うみよりももっととおくへいける」という言葉がのんさんによって語られたとき、救済をもたらしてくれるように感じるのは、私だけではないでしょう。
バッティストーニが操るオーケストラは、それをどこまでもやさしく大らかに包み、うたい上げます。

家族や個人の 幸せのあり方が、ますます多様化している現代だからこそ、ひとりでも多く方に聴いていただいきたい作品です。


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