見出し画像

#8【徒然】パパ活とネオホスト

「若い子」と「お金を介さず」に「イイコトしたい」

は、男女問わずに蔓延するアホな価値観ではないか。

私は歳を取るのが怖い。
その前に死にたいと思っていたほどである(最近はそうでもないけど)。

中学生にもなれば、えっちするもんだと思ってた。
でもそれは、大人が性的搾取のターゲットにしてくるってだけだった。
ハタチにもなれば、ババァだと思ってた。
でもそれは、子供の目線から見た「大人」の基準ってだけだった。
30にもなれば、いい母親になると思ってた。
でもそれは「そろそろ結婚?」との追いかけっこってだけだった。
40にもなれば、笑えないガチの「ババァ」だと思ってた。
でもそれは、キャリアアップと育児に疲れてそう見えてただけだった。
50にもなれば、そろそろおばあちゃんだと思ってた。
でもそれは、やっと育児も終わり久々に「ふたり」になるだけだった。
60にもなれば、田舎で暮らせると思ってた。
でもそれは、自分の生活を守るために労働せざるを得ないだけだった。

私の成長とともに歳を取る親を見て、想像の世界の答え合わせをする。

人はどんどん歳を取っていく。

にも関わらず、どんどん価値が下がってく。

と思われている。

「オトナ」になったら働いて、ずっとずっと働いて、
「ロウゴ」は自分が働かなくても済むように、子供に代わりに働かせる。

「オオキくなったら」女性・男性としての魅力がなくなり
逆に「ワカさ」に魅力を感じるようになる。

大人になってみれば、
その人の価値が必ずしも年齢とともに低下するわけではないと分かる。

けど、子どもの頃に抱いた「オトナ」に対する幻想こそが
多くの「オトナ」のもつ「フツウ」の価値観なのではないかと思う。

大人になるにつれて、知識や経験で価値観が変わって理性的になれば
一定の基準に基づいて、健全な人間生活ができるようになるのだろう。

一方、大人になっても、幼少期に植え付けられた「フツウ」のままでいれば
自分がいくら歳を取っても、自分をいつまでも若いままだと誤認識したり、
自分が歳を取ったと認めたくなくなったり、
年下の子たちとの差を現実通りに受け入れられなくなったりする
のではなかろうか。

この

若いことに価値がある

という考え方を覆さなければ、

若い子と金を介さずイイコトしたいおっさんのする児童買春や
日常感のある子とイイコトしたいおばさんのする売買春は

なくならないんじゃないかなぁと思うのです。

目に見えるものだけ見てちゃ、ダメなんだろうと思うのです。

                             岡野めぐみ

性に関して活動中の大学生です。思ったことを徒然書いてます。興味を持っていただけたら嬉しいです! ぜひサポートお願いします!