文化人類学者、サラリーマンのように旅行をする
上の写真は韓国のソウル、インチョン国際空港からモンゴルの首都、ウランバートルへと向かう途中で撮影したものだ。飛行機の下に広がる光景は、いつかでみた火星の写真を思い浮かべてしまう。しかしながら、ところどころある集落が、ここは人に住む土地なのであるということをアピールしている。こんなところにも人が住んでいるんだ。いったいどんな人たちが住んでいるんだろう。そんな好奇心は人を動かす。実際に行ってみてもよいではないか。
私は文化人類学を専門とする研究者である。文化人類学者は、異文化を理解することを生業としているものであり、海外旅行のプロと思えるかもしれない。しかしながら、文化人類学者という仕事をまじめにしていると調査地とホームの往復をしてしまうことにもなりかねない。ある特定の地域には詳しくなるかもしれないが、それ以外の地域はわからないという風になってしまう。日本にある自分のホームと海外にある調査地、その二つしか知らない。ホームが二つになると表現しようか。「●●国の●●民族の専門家で一つの村でフィールドワークをしてきました」。そんな人類学者は歳を重ねるごとに異文化体験をしなくなるのだ。
私はそうはなるまい。というかそうはなれない。なぜなら知らないことを知ることが好きだからだ。表面だけでもさらっと知らないことを学ぶ。その作業はとても素敵なことだと思う。
そんな僕が心がけているのが、いろんなところを見に行くという経験である。日本でも仕事でどこかに行く機会があれば、その地域でできるだけいろんな話をするようにしている。さらにはプライベートでも、できるだけ知らないところに行くようにしている。その一環としてやっているのが、「サラリーマンのように旅行をする」ということだ。どういうことかというと「弾丸旅行でいいから、縁もゆかりもないけれども行ってみたい地域にいって、遊びでもかまわないから行った場所を体験する」ということだ。研究者の中には「そんな薄っぺらいことしたくない」と思う人がいるかもしれない。でも、これは研究者もするべきだと思う。というか僕はやっていて楽しいのでやるべきだと思ってやっているというより、「やるべきだ」という言い訳をして楽しんでいるに過ぎないのだが、いずれにせよ「サラリーマンのように旅行する」ということをやっているのだ。すなわち、一年に一回は知らないところに物見湯山の旅行をすることにしている。現地調査をしなくていい分、自由にモノが見れる一方、やっぱり海外で文化や社会の調査をしたことのある身としては、いろんなことが気になってくる。
このように知的好奇心をくすぐるからこそ、やはり弾丸旅行であっても楽しいモノなのだ。簡単にまとめてみるとその利点はいくつかある。
第一に知らないよりも表面だけ知っているだけの方がマシである。百聞は一見に如かずという言葉があてはまるだろう。どの国にもうまいものはあるし、かっこいいもの(かわいいもの)はある、「へえ、そうなんだ」と驚くような習慣もあるし、「ああ、これは日本と変わらないな」というものもある。そんな体験は普通に楽しいし、ちょっとだけ知識も増える。
第二にその地域について勉強するようになる。事前に行く前に勉強するようになるし、現地で見知ったことをさらに勉強してみようと思う。私はいつもどこかに行くたびにスマホで本を検索し、その場で購入してしまう。
というわけで、今回は学園祭の帰還を利用して5泊6日でモンゴルに来た。いまは一日観光を終えて宿でこのブログを書いている。モンゴルに行こうと思ったのは、Youtubeがきっかけだった「ゆる民俗学ラジオ」というYoutubeチャンネルが人類学者、島村一平先生の本を引用しながら、モンゴルの歴史や社会について解説していたのだ。2000年代、モンゴルではシャーマンが急増していたという。その理由を知ると、共産主義下での歴史や、モンゴルの民族関係が見えてくるというのだ。その本を手に取るよりも、まずは見てみたいなあと思うようになってきた。
さらに今年の旅行は日本の宮崎・大分を旅行しようと思っていたものの(47都道府県のうち、行っていないのがこの二つの県だったのだ)、あんまり引かれなかった。おそらくはいいところはたくさんあるのだろうが、そこまで調べるまで至らなかった。おそらく個人的にまだ行くタイミングではないのだろう。
「どこか行くのにいいところないかなあ」と地球儀を見たり、日本地図を見たりとビールを飲みながら考えていたら、ふとモンゴルが目に飛び込んできたのだ。しかも、調べてみると航空券もそんなに高くない。「これはモンゴルに行くしかない」と思い、モンゴルのことをさらにいろいろ調べ出したら、ウランバートル気温―3度と出てきた。
萎えた。
僕は東南アジア大好きでべとべとして発汗してないとダメなんです…(その前の西アフリカも熱帯雨林の覆い繁る地域だった)。けれども、慣れていないことこそやるべきであろう。せっかくだからオフシーズンのモンゴルに行ったら、それはそれで楽しいかもしれないと思い、えいっとチケットを買った次第である。
ということで、チケットを買った5日後、すなわち、昨日の夕方(2024年10月31日の夕方)、ウランバートルに降り立った。
降り立った時点で、飛行機での往路で窓の外を見ただけでも行ってよかったなあと思える。飛行機から見た景観が全く違うのだ。日本は暖流のおかげでかなり森が多い茂っており、緑が広がる。それが経由地の韓国に行くと緑が若干減ったように思える。さらに私は韓国のソウルの窓口、インチョン国際空港をタッチアンドゴーし、ウランバートルに向かった。韓国に入国して1時間後には出国してインチョン発ウランバートル行の飛行機に乗り込んだのだ(実際には出国してラウンジでだらだらビールを飲んでいるという間が入っているが、それを書くとダサくなるから省きたいが省くのも申し訳ないのでカッコに入れた)。
ウランバートル行の飛行機は離陸の順番をかなりの時間待たされた後、空港を飛び立った。その後は大回りするような形で東海を横切り、青島へと至り、青島をかすめてからウランバートルへと北上した。
中国は海の近くでさえ茶色だ。海の近くの青島でさえ景観は茶色であり、砂埃に染まった地帯であるという印象を持った。そこからウランバートルに向かうにつれ、どんどんと植物の気配がしなくなり、のっぺらぼうの世界がひろがる。どこかで見た火星の写真みたいだ…。けれども途中で風力発電のプロペラや、おそらく畑なのであろう四角形の区画が見える。冒頭の写真も、飛行機の中から「こんなところに集落がある」と撮影したものだ。そうした景観によって、ここは人がいる土地なのだと気づかせてくれる。そうした大地の先にウランバートルはあった(間違いなくその先にも茶色い大地が続いている)。飛行機に乗り、通り過ぎる土地の変遷だけをみても、弾丸旅行をしてよかったなと思えてくる。
いずれにせよウランバートルへと降り立った。どんな世界が待っているのだろうか。知らないことを知るのはいくつになってもウキウキするものである。