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産んだ責任…って何?

「我が子を自分で世話できないなら
増やすな、、産むなよ」

この本音が肯定され続ける限り
どんなにお金を支援したって
少子化は止まらないと思う…

子どもが何かしたら
産んだ責任とか、
躾がなってないとか、
親は何してるんだとか、、
確かにそうだけど

責めるだけでは
何にも変わらない

むしろ、その社会的な視線は
ただただ親を追いつめる
追いつめられた親は…

虐待が起きた時、、
何でその命が救えなかったのだろうかと
いつもやるせない気持ちに包まれる

子の一番の理解者は、
必ずしも「親」でなければならないのだろうか

その答えが「NO」であることは
ある程度、社会的に知られてきたはず…

ただ、残念ながら
最終的に「産んだ責任」を問われるのは
親であることが多い

悲しいけれど、
子どもの笑顔を潰してしまうオトナがいる

「産んだ責任」があるとすれば、
この世界に生まれてきて良かったという気持ちを子ども達に充分過ぎるほど感じてもらうこと

なのではなかろうか…

そう思う私も、
まだまだ充分とまでは
愛を伝えきれてない面が多々あるのだが…

子どもの育ちを親だけの責任にしてはならない

その隣にいる子どもは
いつかあなたに光を照らしてくれるかもしれない

その隣にいる子どもは
いつかあなたが倒れそうになった時に手を貸して支えてくれるかもしれない

かつては
オトナも子どもだったはず

少なくとも私は
温かいオトナに囲まれて育った
だから
私は子ども達にとって
かつて出逢ってきた大人のようにありたいと思う

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