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多面体のどこがどれだけ見えるか。

これはあくまでも俺の視点でございます。
そして、単なるこじつけです笑

よく『手放す』と言う言葉が使われている界隈?があるが、
これは合ってるけど、受け取り方によっては間違っている、と思っている。
そのものを自分から失くす訳では無く、
あー、あるんだな、と言う認識だけで良くなる、と言うこと。
愛は嫌いも含めて好きになる、みたいな表現がされるけど、それと似ている。
もしかしたら、
俺がまだ腑に落ちてないだけで、
手放す、もあるのかも知れない。

いわゆる執着、トラウマと言うのは、
多面体の一面や二面程度しか観えて無い状態
(ここしか見たくない!って状態とも言える)で、
自分自身にとってのデメリットの方が大きく見える状態。
ある意味ではメリットの方が大きく見える状態。
多面体なんだね、と気付いたら、
自然と理解ができるようになる。
理解と言うのを越えるのだけど。

以前、noteに書いたように、
自分の無意識の中の天秤が判断しており、
その状態を進む。あるいは留まる。

ステロイドやプロトピックと言う薬を
約半年くらい使っていた頃に、
肌は塗っていればそれなりに落ち着くけど、
思考や感覚がなんか鈍っているし、
おかしいなー、と言う思考が出るようになった。

行動というよりは思考の流れ、
感覚の流れ的な意味で、
分かっていたことが分からなくなっているし、
簡単に出来ていたことが出来なくなっている、
感動できるであろうことも感じられない、
と言った感覚。

あれ?なんでだろうなー。
と言うのが続く。
ある意味で、
もうどうでも良くなってたはずなのに、
なんで引っかかるのだろう、と言った感じ、
でもある。

解決したかのように見えていた物が、
構造は一緒で形を変えて大きくなって現れるのなら分かるのだけど、
形も変えて無ければ、大きくもなってない。
でも、引っかかってしまう。
あるいは大きいように見えてしまう。
なんだろうなー、の日々。
多面体はどこからでも見えていたのに、
近寄りすぎて大きく見えて、
少しの面しか見れなくなってしまっていた。

ステロイドはよく悪者にされる。
それは長期連続使用による副作用の大きさから、
なのだけど、
実感として伴って無いので、
たまには信じてみるか!
根本を変えなければ、どうせ治る訳ないし!
と言う感じでほぼ毎日使い続けていた訳です。
(ステロイドが悪いとは俺は思っていません)

けど、
辞めてみて、ふと分かった。

そもそも、
湿疹やアトピーは熱を放出し切れずに、肌から現れる、
と言われる場合もある。
きっと自分で出したい熱(想いや感情、声、行動)を認識し切れてない(ダメだと思っている)から、
肌が代わりに出してくれているのでしょう。

ステロイドなどは、
さらにそれを肌から出ないように抑えつけている。なんなら、神経伝達を遮断したりする。
自分を抑えつけた結果、肌から出しているのに、肌という出口すら塞いでしまう。
脳や身体に存在する複数の道を塞いでしまう行為。
通れなくする遮りがこの薬なのでしょう。
使い続けることによって、遮りは数を増やし、
それぞれがより強固になって来る。
見えない部屋に入れられた自分を、
さらに小さな檻に閉じ込めてしまった状態である。

38年くらいかけて拡がっていた自分が、
過去の自分に引き戻されている感覚もあった。
20歳を過ぎた頃に、湿疹が出始めたのだが、
その頃も酷く、長年に渡り、事あるごとにステロイドなどに頼っていた。
きっとこの頃の脳や身体がリンクしてその当時の感覚を繋げていたようにも思う。
前回書いた禁煙法とも一致する部分があるような気も。
あれ?あそこにあったはずのあの道具が無いや。あれは使えるはずなのになー。
檻の外にはあるけど、届かない。

生きていく中で拡大、膨張した部屋の中には、
様々な自分なりに磨いた便利な道具が整理整頓されている。
いや、雑多かも知れんけど笑
この時には、これ使って、この時にはあれをこう使う、のように。
もしかしたら、代用出来るものはたくさんあるので、最終的にはどんどんシンプルになるかも知れない。
けど、そうで無いうちに、
部屋の中の檻の中の檻に閉じ込められると、
手が届く物は少ない。

自分を思い出すだけで良い、
と何年か前から誰かと話す時に直感的に話しているのだけど、
この意味はきっと、
消してしまった光源を点け直す、
と言うことなのかな、
と思っている。

地球に産み落とされた時点で、
自分と言う部屋が出来る。
最初から複数あった光源は、
成長の中で、消されたり、光を弱められたり、壊されたりしてしまうことがある。
そして、部屋は徐々に拡がりながらも、
いろんな多種多様な多面体がやってくる。
なおかつ、新たな光源も与えられる。
気付きの中で、
消えてしまった光源の付け方や
弱められた光源の強め方も思い出すことがある。
部屋、多面体を照らす色とりどりの光源が点けば、
自分を思い出す、になっていく。


と言いつつ、
最近自分が言ってたのは、
自分をひっくり返す、
と言うことだったりする笑
抑えつけることを辞めるのも怖くて、
かと言って、
自分を思い出すために表出化される現象に怯えていたのでしょう。

変わってなんかいない!!
と自分の殻の奥に閉じこめているのは自分自身で、
カーテンを開けて窓を開けてみれば、
外の景色は知らぬ間に変わっており、
冬はとっくに通り過ぎて春になっていたりする。
そして、
気持ちいい風が通り抜けるかも知れない。
閉じ込めている自分自身の外にある世界は刻々と変わり続けている。
そして、
もうそこには素敵な景色が広がっているかも知れない。

道を閉じると言うこと、
光源を消すと言うこと、
視点を狭めると言うこと、
なかなかに厄介だ。

いつでもサポート大歓迎でございます!☺︎ (無職の甘え 笑)