貧困問題を報道する際に、ライター・編集者が気をつけるべきこと

新型コロナウイルスの影響による失業者の増加や所得減少が懸念されている。そうしたなか「貧困」について取り上げるメディアも少なくない。

私自身もライターとして貧困問題を取材し、記事を執筆させてもらうこともある。しかし、貧困問題を報道する際のガイドラインはなく、何をどこまでどのように書くかはメディアやライター個人の倫理観に任せられてしまっているのが現状だ。

そのため「貧困」の切り取り方や取材の仕方に、批判が集まることもある。

何か報道の時に指針となるようなものはないだろうか、そう考えていたときに、ある本を見つけた。

 社会調査の専門家である阿部彩さんと、貧困家庭を取材し続けてきたライター鈴木大介さん(上の「貧困報道」は問題だらけだ」の執筆者でもある)の共著「貧困を救えない国 日本」だ。

本書の第4章は「メディアと貧困」と題されており、近年の貧困報道に関する問題点について語られている。

そこで今日は、本書の内容を見ながら「貧困問題を報道する際に、ライター・編集者が気をつけるべきこと」についてまとめてみたいと思う。

スケープゴートにしない

まず、本書で問題視されていたのが、PVのために貧困を扱うウェブメディアの存在だ。

阿部:メディアが生活保護バッシングするのは、視聴者が生活保護バッシングのニュースを聞きたいからですよね。きっとみんな「やっぱりそうだったのか」と思ってエキサイトするからですよね(中略)

鈴木:(中略)「すごく辛いよね」という気持ちはみんな共有している世代だと思うんですけど、「自分たちは辛い中で頑張っている」という思いを共感し合うという世代でもあるので、頑張っていないように見える人たちをバッシングすることが精神安定要素になるわけです。それをメディアもわかって消費させているような印象はありますよね。

お二人は、「自分は苦しい状況のなかで頑張っている。なのにあの人たちは…」という考えを刺激するような記事に、PVが集まりやすいと指摘する。

しかし、当たり前のことだが「貧困」という社会課題は人々の注目を集めるためにあるのではない。多くの人の注目を集めることで、何を訴えたいのか。確固たる目的をもって、安易に読者の「気持ちよさ」に迎合する記事はつくらないこと。当たり前のことだが、忘れてはならない視点だと感じた。

美談のコンテンツ消費になっていないか

次に指摘されていたのは、「美しいストーリーとしてのコンテンツ消費」という視点だ。

阿部:「地域の子どもたちが自分たちの古着を提供しました」とか「ランドセルを児童養護施設の子にあげました」とか、その次元の議論をしている。美しいストーリーなので、まさにコンテンツ消費されている。

「じゃあ、この人たちは、なぜ生活保護を受けられないの?」とか「児童扶養手当ではどのくらい足りないの?」とか「このシングルマザーたちの就労状況ってどうなってるの?」といったレベルの疑問さえ出てこない。(中略)そうした疑問が市民の間から出てこない限りは、貧困対策をムーブメント化というか、市民運動として動かしていくというふうにはならないと思うんです。

「こんな素晴らしい活動をしています」といった表面的な部分だけを報道していては、結果として読者がその問題を知ることはできず、世論も形成できない。阿部さんはそう話す。

ではどうしたら「美談のコンテンツ消費」ではない記事と言えるのだろうか。個人的には、出来る限りで下記のような視点を盛り込んだ記事を書くことが重要なのではないかと感じた。

・事象を構造的に捉え、背景にある原因を提示すること
・その上で、今行われている活動はどのような意味をもつのかを示すこと
・今後どうしていけばいいのか、という未来への展望も記すこと

「読者・視聴者が腑に落ちる」ストーリーを先につくらない

さらにお二人は「読者・視聴者が腑に落ちるように先にストーリーをつくってしまってはいないか」という指摘もしている。

鈴木:本来取材とは、あらかじめ企画があったとしても、取材をするうちに設定した結論と違うところに行く可能性をはらんでいて、そこで取材者が共に結論を考えていくことこそが醍醐味だと思うんです。けれども、彼らが求めるのは用意された結論と、それを裏面ける当事者の一声。大きなメディアほどこの自縄自縛の中にあると感じます。そしてそのあらかじめ設定した結論は、データや政策議論などと同様に「読者・視聴者が腑に落ちるもの」という場合もある。

結論ありきで、取材できる当事者を探してはいないか。予想していたのとは異なる回答がインタビュイーからあった場合に、事実を歪めて書いてしまってはいないか。取材前や執筆時に改めて気をつけなければならないと感じた。

本書のなかでは、関連してもう一つ興味深い事例が紹介されていた。

阿部:以前貧困の子どもの食の問題をテーマにした「NHKスペシャル」に出演したときに、ディレクターの方といろいろお話したんですけど、「ぱっと冷蔵庫を開けたときにモノが入っていたら批判が起こる」と。「貧困者の冷蔵庫は空っぽなものだ」という一般感情があるみたいです。

鈴木:それはもう貧困の本質を逆に見てますね。貧困の当事者の冷蔵庫の中には、賞味期限切れのものがいっぱい入っているのが当たり前なんです。

阿部:なるほど。

鈴木:びっくりですよ。買い物のコントロールができない。必要な食材の量を自分で判断できない。安いものをうまく選んで買うことができない。そういう能力や考える力すら枯渇してしまっている。それが貧困の現実じゃないですか。

ぎっしりの冷蔵庫をちゃんと映して、その意味をしっかりつたえられるかどうか。報道する側は自分に問いかけないといけないのかもしれない。

個人情報の取り扱いについて

最後に個人情報の取り扱いについてだ。

阿部:主にテレビの話になりますけど、貧困のテーマで、当事者の子どもを安易に映し出すのって、あれはまずいですよね。

鈴木:あれは怒りしか感じない。子どもをメディアに出しちゃいけない。その理由の一つとして、出たがる子は出たがるんですよ。(中略)その本人たちがのちに傷つくことへのケアは一切ない。貧困問題の取材を受けた風俗づとめの女の子から、記者に「出て話す義務があなたにはある」って脅迫めいたLINEを送り続けられたと相談を受けたこともあります。

そもそも個人情報は分からないようにするというのは前提としつつ、たとえ匿名であったとしても注意すべき点は多い。

「今はいい」と思っていても、大きくなってからやっぱりやめればよかったと意見が変わる可能性もある。取材を受けることによってなんらかのトラウマを蘇ったり、記者からの質問に傷つく可能性はないとは言えない。取材を受けるかどうかを現時点で判断ができるように「取材はどのように行われるのか」「記事がでたらどのような影響があるのか」などは取材前に説明しなくてはならないのではないだろうか。

取材する際には

取材の際にもう一つ参考になるものがある。それが、一般社団法人Springが2016年に作成した「性暴力被害者への取材のためのガイドブック」だ。

少し領域は違うものの(もちろん重複して経験しているインタビュイーもいる)、取材前・中・後で気をつけることリストは、貧困問題を取材するときにもとても参考になる部分が多いと感じる。

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引用:性暴力被害者への取材のためのガイドブックより

こういったnoteを書いていながら、私自身過去の取材や記事を振り返って「こうしていればよかった」と後悔することも多い。他にもこういった視点をもっていたほうがいいのではないかというものがあれば、ぜひ教えていただけたら嬉しい。


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