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「私はダメだ、役立たずだ」といった自己否定感情に悩む人に伝えたい「推論のはしご」ワークとは

最近、「自分の心を上手に扱うのって、本当に難しいなあ」とよく考える。

少し前まで、私は仕事でミスをしたり、うまくできないことがあるとすぐに「なぜ自分はこんなに何もできないんだろう」「本当に役立たずだな…」と落ち込んでしまうことが多かった。頑張って直そうとしてだいぶマシにはなったものの、今でも若干その傾向がある。

自信がない状態なので、仕事に取り組もうとするとビクビクしてしまったり、「本当に私はこの会社に居ていいのだろうか」と所属への不安を感じてしまいがちだった。また、やりたいことがあっても「私にはできないかもしれないな…」と手を挙げられないことも多かった。

あと、普段の生活のなかで自分を否定し続けているので、単純に毎日があまり楽しくなくなってしまう。

つまり自己否定によって、仕事にもプライベートにも大きなデメリットが生まれていたのです。

それはなんとなく分かっていたので、なんとか自己否定モードに陥らずに、ご機嫌に人生が送れないものだろうか、とよく考えていた。

自己否定モードに陥らないためのヒント「メンタルモデル」

そんな時に、ピーター・センゲさんという企業経営研究者が提唱している「メンタルモデル」という概念を、知り合いから教えてもらった。

メンタルモデルとは、以下のようなものだ。

メンタルモデルとは「世の中とは、他者とはこういうものだ」という心に染み付いたイメージであり、慣れ親しんだ考え方や行動に私たちを縛り付けるイメージのことである。

先程例に出したような「自分は何もできない人だ」「私は本当に役立たずだ」といったイメージは「メンタルモデル」にあたるだろう。

センゲは、メンタルモデルとは、動かしようのない現実ではなく、単にその人自身が世界をそう捉えてしまっているにすぎない、と説明している。

つまり、実際に「何もできない」「役立たずだ」という現実があるわけではなく、あなたがそう捉えてしまっているだけの可能性もありますよ、ということだ。適切な手順を踏めば、メンタルモデル(世界や他者、自分への見方)を変えていくこともできるのだという。

メンタルモデルを可視化する「推論のはしご」

もしや自己否定モードから抜け出すヒントになるのでは?

そう思った私は、メンタルモデルを自覚し、変えていくための実践ワークが載っている「フィールドブック 学習する組織「5つの能力」 企業変革をチームで進める最強ツール」をさっそく買ってみた。

(※センゲは組織研究を行っているので、本には企業変革のための実践ワーク、という文脈で掲載されている)

そのなかで紹介されていたのが「推論のはしご」というフレームワークだ。

通常、人は目の前で起きた事実や経験をメンタルモデルに基づいて解釈し、その解釈をもとに行動をしている。だからこそ、メンタルモデルが極度に悲観的であれば、解釈にも歪みが生じてしまう。結果として自分にとってデメリットの大きい行動や考え方を繰り返してしまうのだ。

この事実→解釈→行動という一連の流れを可視化してくれるのが、この「推論のはしご」というフレームワークなのだという。

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「推論のはしご」フィールドブック 学習する組織「5つの能力」 企業変革をチームで進める最強ツール (p.217)より。人は目の前で事象が起こると、このはしごの最下段から最上段を無意識のうちに駆け上っている

自分がどのような回路を通って、はしごを駆け上がっているのかを自覚すること。それが、悲観的な現実認識を変えていく第一歩になるとセンゲさんは言う。

「推論のはしご」ワークを実際にやってみた

そこで、この推論のはしごを使って、自分の思考の可視化にチャレンジしてみた。最近「役立たずだなあ」と感じた出来事をピックアップして、推論のはしごのフォーマットに沿って埋めてみた。


(観察可能な事実や経験)
先月、所属しているコミュニティでワークショップを主催した。開催後にアンケートを実施。よかった点、改善できるといい点、またやりたいと思うかなどを回答してもらった。

(観察したもののなかから事実を選ぶ)
みんなが回答してくれた項目のなかで「改善できるといい点」にだけ目がいく

(意味の付与)
事前にもっとしっかり考えていたら、「改善できる点」なんて出なかったかもしれない。みんなアンケートに「楽しかった、またやりたい」と感想を書いてくれていたけど、もしかすると気をつかっているだけかもしれない。

(推論する)

私にはワークショップを主催するなんて向いていないのではないか。もう人前に立つのはやめたほうがいいのではないか。

(結論を出す)
私はできないことが多く、役立たずだ

(実際の行動)
本当はもう一度ワークショップを企画したいと思っていたが、なかなか行動に移せないまま日が過ぎる。

「私は役立たずだ」という自己否定感情が生まれるまで

やってみて、一つ驚いたことがある。

それは「アンケートを見る(観察可能な行動)」から「私はできないことが多く、役立たずだ」という結論を導き出すまでの間の「意味の付与」や「推論」を、ほぼ自覚しないままに行っていたということだ。

自分の体感としては「アンケートを見て、私は役立たずだと感じた」くらいの感覚だったのだが、改めて言葉にしてみると、こんなにも色々なことを考えていたのか、と自分でも驚いた。

それと同時に、言葉にして書いてみると、自分でも結構ツッコミどころの多い思考回路をしていることに気づいた。

「観察したもののなかから事実を選ぶ」について
アンケートの満足度はみんな4以上が多く、「とても勉強になったので、またやりたい」といった感想を書いてくれている人も多かった。なぜ「改善できる点」ばかりに目を向けてしまっていたのだろう…?

「推論する・結論を出す」について

「ここは次回改善できるほうがいいのでは?」という意見から「ワークショップを主催するなんて向いていないのではないか」「もう人前に立つのはやめたほうがいい」「私は出来ないことが多い、役立たずだ」とまで考えるのは、いくらなんでも飛躍しすぎかもしれない

自分の思考回路ながら「そこまで悲観的に考えなくてもよいのでは…?」と声をかけたくなってきたくらいだ。

隠れたメンタルモデルを言語化してみる

こうやって自分の思考回路を振り返ってみると、私には以下のようなメンタルモデルがあるのではないかと気づいた。

「人が良かったと言う時は、気を使ってくれている時だ」
「改善点を伝えてくれるときだけが本当の気持ちだ」
「オーナーならば、初めから改善点が1つもない状態を目指すべきだ」
「場の満足度がよくなるかどうかは、オーナーだけの責任である」

これらのメンタルモデルが、私を悲観的な事実だけに注目させてしまったり、物事を悲観的に捉えさせてしまう原因になっていたのかもしれない。

そう考えると、以下のような思考・行動をしたほうが良さそうだなと思うようになった。

「人の『良かった』という感想は深読みせずに、そのまま受け取る」
「場作り等には正解がないため、改善点が一つもない状態をつくるのは難しい」
「場はオーナーだけで創るものではない。チームのみんなとより良い場をつくるために『共同学習をしている最中だ』と捉える」

ここまで来ると、ワークショップを企画することへの恐れはだいぶ少なくなり、次回に向けて準備を始めることができるようになった。

自己批判と自己否定は違う

私も書籍化のお手伝いをさせてもらった、心療内科医 鈴木裕介先生の本のなかで、こんなことを説明している章がある。

改善可能な項目について具体的に振り返る「自己批判」は、次回につながる建設的な行為だけれど、「なんで自分はこんなにダメなんだ」といった「自己否定」では、具体的な改善点を探し出したり、的を射た気づきを得たりすることは難しい。

こうしてみると、確かにこれまで私が行ってきた「自己否定」はなんら生産的な改善策にむすびついていなかったなと改めて感じた。

生産的な「自己批判」をするためには、まずは推論のはしごのようなツールを使って、自分がなぜ自己否定にはまり込んでいるのかに気づく必要がある。今回、自分の悲観的な思考回路を客観的に見たことで「こんなに悲観的な考え方をできるなんて、面白い人だな」などと人ごとのように感じた。

もうそろそろこの自己否定ループから抜け出して、もう少し有意義に人生を過ごしたいなと考えているので、最近は推論のはしごなどのツール以外にも様々な取り組みをしてみている。(センゲさんは、他にも「左側の台詞」のようなワークを本のなかで紹介している)色々やってみるなかで気づきがたくさんあったので、それについてはまた書いていこうと思う。



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