「兵は詭道なり」の技術者的解釈
孫子の有名な一節に、「兵は詭道なり」というものがあります。
もともとは戦国時代を想定していますが、技術者的に解釈しても、実務に応用できる考え方です。
「兵は詭道なり」の技術者的解釈
「兵は詭道なり」とは、どのような意味でしょうか。
以下のような解釈が、一般的なようです。
戦争の場面であれば、相手をだますことが、勝利につながっている、という考え方は想像しやすいです。
経営やビジネスの文脈では、競合他社の戦略の穴をつき、正面からは戦わない、というような解釈ができます。
では技術者として、どのように解釈できるでしょうか?
もちろんデータをだまして使う、という理解の仕方では実用的ではないでしょう。
当然不正ですし、内部も混乱してしまいそうです。
私は「だまされない」ことが、戦争に負けない戦い方だと解釈しました。
より技術者的な解釈をすると、「バイアスを排除し、データを解釈する」ことが、研究開発で大失敗しない方法だ、と理解できるのではないでしょうか。
バイアスが多くの技術的失敗を引き起こしている
技術系の仕事の失敗の多くは、希望的観測から発生しています。
私自身、「自分の思い込み」にだまされて、失敗した経験が多くあります。
例えば、ある化合物を合成した際、論文通りのデータ(1H NMR)が得られ、問題なく合成できた!と思い込んだことがありました。
しかし、実際にその化合物を使ってみると、想定していた機能が出ない。
詳しく分析してみると、論文に掲載されている構造決定が誤りで、実は異なる構造を作っていたのです。
論文のデータを見ずに分析していたら、「あれ、おかしいな」と気づいたであろう点が、データにはありました。
ちょっと調べれば、異なった構造であるとわかるヒントが提示されていたのです。
しかし、論文という権威を信用したために、判断を誤ってしまったのでした。
大損害は出していませんが開発が遅れてしまった、今でも苦い経験です。
あるいは、当初に立てた誤った仮説に引っ張られて、意思決定が遅れてしまった経験も数多くあります。
この様に、技術者は「思い込み」によって、誤った解釈をしてしまうことが多くあるのです。
自然現象は、人を「だまそう」としているわけでは決してありません。
自然法則に従って、あるがままが表現されているだけです。
しかし人間は、あるがままにデータを見ることができない。
個々人の思考の枠組み(=心理学で言うスキーマ)に沿って、解釈をしているためです。
このような「だまされ」は、技術者のデータ解釈にとどまりません。
対人コミュニケーションでも、意図せず「だまされ」が生じることはよくある。
認知科学者の今井むつみ先生の著書「「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?」では、「スキーマ」という補助線を利用することで、ミスコミュニケーションが起こる理由を解説しています。
各人が異なる思考の枠組み(=スキーマ)を有しているため、伝えているつもりでも伝わってはいない。
スキーマの差異に気づかないことが、情報の不伝達を発生させているのです。
バイアスを排するためにできること
技術者は「だまされ」を回避して、現象を理解することはできるのでしょうか。
「「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?」から考えると、これはかなり難しい。
本書では、人間が簡単に騙されてしまう例が数多く登場します。
人間は、自身のスキーマから逃れることはできないのです。
対処法は、簡単に「だまされる」と言うことを理解して、現象を観察することです。
自分の仮説は確からしいように見えるけど、もしかしたら誤った解釈なのかもしれないと考えてデータを見直す。
誤って理解しているとしたら、どこで間違っている可能性があるか検証する。
あえて批判的に研究成果にツッコミを入れてほしいとメンバーにお願いする。
「間違って世界を見ているかもしれない」戦国時代のリーダーが持っていた疑心暗鬼の精神を、技術者も持つべきなのだと思います。
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