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サッカーの可能性を地元で使う

 サッカーはじつは嫌いではない。小学生のころはサッカークラブに所属していたし、マニラに住んでいた時は社会人チームで「俊足の補欠」としてピッチ外で活躍していた。

 ピッチ外で活躍というのは、試合の序盤からピッチの周りをグルグル走ってアップをし始め、自チームの監督に「早よ出さんかい」というプレッシャーを与え続けるという役目である。「なんかやたらに走り回るメッチャややこしそうな控え選手がいる」と相手にもややプレッシャーを与えていたかもしれない。

 てなわけでサッカーはとても好きなのだ、といっては言い過ぎかもしれないが、気になる。子どものころから染みついたお袋の味みたいなものでこれはしかたがない。そもそも自分の経営する株式会社ムサシでサッカーチームのスポンサーになっているのだ。興味がなかろうはずがないではないか。

 しかしそれは基本的にプレーヤーとしての話である。そもそもおよそスポーツで、好き嫌いはあるとはいえプレーしてまったくおもしろくないものなどありえるはずがない。

 しかし観戦するスポーツとしては、点のあまり入らないスポーツはイマイチだ。コアなファンなら陣形や戦略まで考えて楽しめるのかもしれないが、にわかファンにとってはサッカーや野球は失敗の連続を見させられることになる。

 だがそれ以上にサッカーを避けさせるのは、選手がわざとコケて審判のファウルを誘うだの、やれ日章旗を掲げたの、それにたいして韓国の観客がどうだの。発煙筒をぶち込んだりも鼻白む。実質的に国粋主義をあおってやまないところ。さらには正確を期して導入されたビデオ判定になぜか文句が出たりする。

 そもそも思惑がバラバラで「モメるためにやってる朝から生テレビ」みたいである。主催しているFIFAがバカなのだ。

 そういうところがたいへんクソだと思うのでとくにワールドカップの「ニッポン、ニッポン」コールに象徴される、翼賛・迎合的な空気はダイキライである。率直にいってバカで下品なのだよ。

 反対に、昔は興味のなかったラグビーが、サッカーへの興味を近年あっさりとぶっちぎってしまった。

 2019年のラグビーワールドカップの雰囲気は最高だった。なにせ、どちらのチームが得点してもナイスプレーに観客が喜ぶ。しかも試合のあとはどっちのチームもお互いの健闘をたたえあう。シミュレーションなど、ない。ありえない。なぜならラグビーは誰かがケガをして倒れてもゲームはそのまま進むからだ。サッカーでは「オマエほんとに痛いのかよ」というシーンがよくあるが、ラグビーでは「オマエほんとに大丈夫なのか?」と思わされることが圧倒的に多い。首がとれかけてもケンカをしつづけるカブトムシのような選手がいるので、いったん脳震盪を起こしたと疑われたら、それだけで安全のために退場させられる。

 先の冬、実業団のラグビーを見に行ったら、ワールドカップほどの成熟度ではないチーム主義みたいなものも見えた。そこはまあ、しょせん地域どうしのブットバシあいという意味あいもあるので、成熟はまだまだなのだろう。しかしワールドカップどうしをくらべるとサッカーとラグビーの洗練度は天と地の差がある。それぞれのフットボールの出自である「庶民のケンカ祭り」と「紳士の鍛錬」の違いがそのまま出ているといっていい。

 そのクソみたいなFIFAワールドカップのなかでは、日本代表はラフプレーやシミュレーションなどの品性下劣なクソプレーが圧倒的に少ない。これはもっとハッキリと売りにすべきだろうと思う。なぜやらないのだろう。

 加古川の地元のチェントクオーレハリマというサッカーチームには、この点たいへん驚ろかされた。こんな田舎のチームとは思えないほどひじょうに上品で志が高いのだ。地元にスポーツ文化をつくるためのサッカーチームとして運営されている。

 春先にチームのオーナーの大塚さん、滝野さんと面談して感動し、スポンサー額を5倍にしてしまった(そもそもたいした額ではないけど)。あとから聞くと、じつは大塚さんが子どものころラグビーをやっていたのだそうだ。これも大きな影響を与えているのかもしれない。

 ワールドカップじたいでわいのわいの盛り上がることにはあいかわらず興味はない。しかし日本人の生活に圧倒的に欠けているスポーツ文化を加古川で育てるためのツールとして、この世界最大のメジャースポーツと、すがすがしい地元チームの可能性にはたいへん期待している。

 来年もチェントクオーレハリマのスポンサーになるつもりだ。

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