選べたはずなのに選ばなかった道はなんだろう
前回のnoteでは秋の話をしていたのに、この10日ほどで季節が急に進みだし、朝晩は冬の寒さを感じさせる日もあります。
とはいえ、今回も前回に引き続き、『愛をこめて花束を』からの一節です。
『分かって選びそびれた』ちょっと不思議な詩に思えます。
Aの方が良いと分かっていれば、Aを選びそうなものですし、自分の行動なにの『選びそびれた』というのは、なんだか変な気がします。
しかし、一般的に、人というのは変化や目先の利益に弱い生き物なので、分かってても選びそびれることは多々あるのではないかと思います。
例えば、ダイエットのためにはこのケーキ1個は食べないほうがいいと分かっていても、何らかの理由をつけて食べてしまう。
自分のスキルアップのためには、1時間本を読んだほうがいいのは分かっていても、ついついスマホをいじってしまう。
やりたいことのためには今の会社を辞めて、自分の望む業界で働いたほうがいいと思ってはいても、生活のためになかなかその踏ん切りがつかない。
私達の身体には恒常性という機能が備わっていて、外部からの刺激に対して、常に一定の状態を保とう、その状態に戻そうというように働きます。
生きていく上でとても重要な機能ではありますが、それが自分にとって必要な『変化』や『いつもと違う選択』に対しても働いてしまうと、常に『現状維持』を選択してしまいます。変化するほうがいいと分かっていても。
いくつもの小さな選択の積み重ねが『昨日とよく似た今日』を迎えることになるのではないでしょうか。
自分でも分かっている。いままでどおりのAを選ぶより、Bを選んだほうがいいと。Bを選びたいと。そして、それは目の前にあり、選ぶ自由がある。でも、選べなかった。変化を恐れて、変化に対して臆病だったから。
そのような意味をこの詩から、私は感じました。
選べたはずなのに選ばなかった道はなんだろう
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