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Visionを実現化する鉢②‐双方が活きる道

組織・個人 双方が活きる道


 いつしかビジョンの実現化をする鉢が小さくなり、不完全燃焼するなかで今のあり方には限界が来ていた。
 ただ、今「だから自由に生きる」と言える状況でもなければ、そんな無責任な選択をするつもりもない。今の段階では自分はコミュニティリーダーの1人として地域支援の完全に中心にいて多様なステークホルダーを支える扇の根元を担っている。無責任に手を離せば地域支援の大半が崩壊し、多くの人たちに迷惑がかかる。
 ただ、だからといってビジョンがあきらかに拡張する中でこれまでのようにWAKWAKだけに大半の力を注ぐあり方にももう限界が来ていた。自分自身は性格上、組織に属しながらも個人としても自由に生きる道がなければそもそもすべてが死んでしまうのがわかっている。
 双方が活きる道を探すときに来ていた。

WAKWAKという組織の特性


 WAKWAKは、富田地域に長年の基盤を持つ団体であることから、組織を応援し支えてくださる人も富田地域を中心としながら広くても高槻市域がメインとなっている。これまで培ってきた歴史を踏まえてもそれ以上の対象範囲を広げることはなかなか賛同が得られず、そこに無理に拡大を持ち込もうとすると反発が自ずと生まれ賛同は得られない。また、急いで事業拡大を図ろうとすればおのずと財源も不可欠となり休眠預金の分配団体にあらわされるような高い能力と専門性が問われることとなる。
 そこで能力主義だけに一点化すれば実現化できるかもしれない。が、そうした時、マイノリティ地域を基盤に行うことの意味や様々な背景を持つ人たちとともに創るという大切なものをきっと失う。また、長い目で見たときに組織の中心を支える次の世代の人材の育成も長期的に行っていく時期も急務に来ている。

人生を俯瞰する


 それら様々な視点から俯瞰した時、自分自身の生き方としてWAKWAKにも足場をおきながらも、個人としても次の段階へと行く道が見えてきた。個人として高みへと行くことがまちにも還る仕組みがある。
 個人として阪大の修士に行った際にもそこからこれまでの実践を研究としてまとめることのみならず、多セクター共創のプロジェクトや阪大とWAKWAKの協定や共同研究、院生をはじめとした人材のまちや校区の学校へのつなぎが生まれた。
 組織、個人、社会それぞれに肩書を持ちながら、かつ力のバランスを調節し、双方が活きる道を見出していくタイミングに来ていた。


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