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実践研究者への道②‐その道を選んだわけ

 そもそも、当初は修士課程で終えることを決めていた。

 実践も多忙な中、研究も同時に進めるのは至難の業で、とりわけ修論をまとめた年の秋から冬は相当なエネルギーを使った。ただ、修論の完成後、冊子としてまとめ地域関係者はもとより日本各地様々な方へお送りしたあとたくさんのフィードバックをいただくこととなった。
 その中でこうして学術研究としてまとめることの意味(意義)を考えさせられることとなった。

 自身は20代前半に海外に出て、毎年渡米しまた、日本各地も回る中、地域に帰還するとき、「被差別部落の地が長年、保育・教育、まちづくりを通して培ってきた実践は現在の日本全国の課題解決となる様々な知見を持っている、その価値が十二分にある」ことを確信した。そして、「実践と学術分野の両面からマイノリティ発実践を日本全国のベストプラクティスに押し上げる」ことを原動力に走ってきた。

 しかし、一方で研究を進める中、当該の研究(先行研究)が非常に少なく、かつ社会企業によるまちづくりにおいては、実践・研究ともにほとんどないのが現状だった。また、その実践の価値が外にほとんど伝わっていないこと、地域関係者がそのことに気づいていないことも痛感してきた。この間、NHKさんをはじめメディアさんの力、学術分野の場をお借りして発信しているのはそのためでもある。

 その中で研究分野において諸先輩が長年培ってきてくださったものを引き継ぐ人(次世代)が必要で、それは「全体の一助」となるだろうことを感じてきた。
 それは富田地区において30年前に故阪大池田寛先生が提言してくださったものがもととなって30年を経て自身がその宿題の回答を修論を通じてさせていただいたこと、その実感もあった。

 良い実践はその時の人を支援することができるが残念ながら消えてしまう可能性もある、ただ、研究は言語化され残り、かつ他地域の課題解決にも汎用できる可能性がある。

 その実践と研究の往還の生き方「実践研究者」の道が自分のめざす方向性となった。

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