見出し画像

隣の陽キャはまだ帰らない

深夜のマクドナルドで、頭を抱えている。

前にも同じようなことがあった。あれは確か大学4回生の最後の試験直前のことで、その日もひどい寒さだった。ひどかったのは寒さばかりでなく、目前に迫った試験対策の出来も芳しくない。「最後の試験」と書いたけど、そのときすでに留年が確定していて、そのテストで単位を取ろうが落とそうが、卒業できないのは確定していた。そんな状態で集中できるわけがない。

というわけで、眠い目をこすりながら「これは多分出題されない」「こいつはきっと出題される」とレジュメを仕分けしつつ、しなしなになった冷たいポテトをつまんでは時計に目をやり、「あれから30分経った、なのに作業は全く進んでいない」と絶望的に呟くことを延々と繰り返していた。もはや勉強のために夜更かししているのか、夜更かしのために勉強しているのかよくわからなかった。それくらい無意味な時間だった。そのテストで単位が取れたかどうか、正直全く覚えていない。

いま、それとほとんど同じ状況に置かれている。土曜日の猛烈な働きを期待して残された平日の膨大なタスクたちを前に、脳みそは完全に戦意を喪失している。なぜ昼過ぎまで寝てしまったのか。夕方まで俺は何をしていたのか。それすら思い出せない。思い出してはいけないような気がする。思い出してしまうときっと、己の愚かさに嫌気がさして、あの日のポテトのようにしなしなになってしまうだろうから。

いや、このまま何も進まずに時が流れてしまうくらいなら、しなしなのポテトになりながらも作業に励んだ方がいいのかもしれない。というわけで私がしなしなのポテトです、こんばんは。

さて、終電の時間をとっくに過ぎたこのマクドナルドには大雑把に言って3種類のグループが存在している。ひとつは何かの作業に集中するグループ。彼らはきっと夜型で、この時間に最も脳みそが冴え渡るのだろう。脳みそが冴え渡るというのは素晴らしい体験だ。右斜め前の青年は何やら分厚い参考書のようなものを広げ、かれこれ10分以上微動だにせず問題に取り組んでいる。手を動かさず、姿勢を固め、すべての神経を眼球の動きに集中しているのだろう。あるいは寝ているのかもしれない。

次に、ノリで終電を逃してしまい、仕方ないから始発までの時間を潰すグループ。全員が己の意思でそうしたくせに、その表情にはどことなく「仕方なく」という感じが浮かんでいる。私たちはそうしたくなかったんだけど、終電が行ってしまったので仕方なくマクドナルドに入店し、仕方なく飲み物を注文し(そうすることで滞在の権利を主張できる!)、仕方なくここに座っています。ソファーに足を乗せたり、机に突っ伏したりするけど、これは仕方のないことなのです。ごめんなさいね、と。

座席の点検に訪れた店員さんが、”仕方なく寝そべる人々”に目をやり、店員の義務として”仕方なく”声を掛けるか迷う様子を見せた。しかし、結局は客側の”仕方なさ”に理解を示したのか、まるで何も見なかったかのようにその場を去っていった。そうするより仕方なかったのだ。この世界はたくさんの”仕方ない”によって、仕方なく回っている。

そして最後は、能動的に夜を延長するグループである。「俺たちの楽しい夜は終わっちゃいねえ!俺たちが目を閉じ、”楽しい”を”楽しかった”に切り替えるその瞬間まで、この夜は続くんだ!」そう主張するように、彼らは元気な声で話し、笑っている。しかし誰ひとり眠気を隠すことはできない。どんなに明るく振る舞ったところで、まぶたは己の重みに耐えることができず落ちかかり、喋り口調にも昼間の明るい日差しのようなハキハキさは感じられない。断言しよう。君たちは泥濘を歩くような足取りで帰路につき、泥のように眠り、1日が終わりかけた頃に目が覚めてこう言うだろう。「終電で帰っときゃよかった」と。

…と思ってたら隣に意味わからんくらい元気な大学生?3人組がやってきた。日差しのように明るい笑い声だ。なんで?もう2時ぞ

微動だにしなかった青年が嫌そうにこちらを振り返り、すばやく荷物をまとめて去っていった。陽キャがきて、青年が去り、時間が流れる。

あれから30分経った、なのに作業は全く進んでいない。

この記事が参加している募集

眠れない夜に

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?