黄泉醜女に共感する
私にとって古事記の日向神話の魅力は、
想像の斜め上を行く設定の中で、
神様達が、
現代人にとっても、すっごくリアルな感情を、
気持ちがいいほど素直に表現しているところです。
神様の話なのに、人間くささ120パーセント。
今日は、私が好きなとある描写をご紹介しますね。
イザナギ、イザナミという夫婦の神様がいるのですが、
この2人が、まず日本の国土を産んで(斜め上でしょ?笑)、
そのあと、木の神様や山の神様、風の神様など、いろいろな神様を産んで行くのですが、
火の神様を産んだ時、妻のイザナミが、火傷をして死んでしまうのです。(ここはリアル)
イザナミのことが大好きだった夫のイザナギは、
それはそれは嘆き悲しんで、また夫婦で国づくりをすべく、
黄泉の国へイザナギを迎えに行くのですが、
暗い黄泉の国で、姿を見せない妻イザナミから、
黄泉の国の神様に、あなたの元へ帰ることを相談しますので、その間、私の姿をご覧になってはいけません。と言われるのです。
前回の記事にも出てきた、見るなのフラグです(^。^)
そして、夫イザナギは待ちきれず、灯をともして、変わり果てた妻の姿を見てしまうのです。
恥をかかされたと怒った妻イザナミは、逃げ帰る夫イザナギを、黄泉醜女(よもつしこめ)という、黄泉の国にいる鬼のような女達に追わせます。
追われるイザナギ、黄泉醜女が迫ってきます。
そこでイザナギは、黄泉醜女達に向けて、黒御縵(くろみかづら)という、蔓(つる)草などで作られた冠を投げます。
するとどうでしょう、
黒御縵を投げたところから、たちまち山ぶどうが生えてくるのです!🍇
そして黄泉醜女は、その山ぶどうを食べ始めました。
その隙に、イザナギが逃げます。
そして、再び迫ってきた黄泉醜女。
そこでイザナギは、今度は頭に差していた櫛を投げつけます。
するとどうでしょう、櫛を投げたところからタケノコがニョキニョキと生えてきて、また、黄泉醜女はタケノコを食べ始めるのです。
その後、妻イザナミは、黄泉醜女を見切ったのか、今度は黄泉の国の軍隊にイザナギを追わせ、最終的には自ら追いかけるのですが、
ここでは、黄泉醜女に話を戻しますね^ ^
私、これを読んだとき、黄泉醜女にすごーく共感しました。
そりゃあ、追いかけるより食べるよねって笑。
LGTBQも浸透しつつある今の時代に、あまり、
女って、男って、と言うのはふさわしくないかもしれませんが、
やっぱり、女性って、食べ物に対する執着、高めじゃないですか!?笑^_^
私は、食べるの大好きです。
美味しいものを食べるのが好きです。
ちょっと現実的な話をすると、古事記の内容には、書かれた時代の人たちの生活も反映されていると言われています。
古事記が編纂されたのが712年、奈良時代。
1300年前ですが、その時から、やっぱ女性って食べるの好きだよねっていう感覚があるからこその、この描写だと思うのです。
だとしたら、1300年前の女性達にも親近感湧きます^ ^
一緒だなー、と笑
きっと、黄泉の国の食べ物って、あまり美味しくなかったと思うんです。
そんな時、目の前にプリプリの山葡萄と、
みずみずしいタケノコが現れたら。
ね!!!
イザナギ、イザナミのお話も、面白いので、
また別の記事で書きますね^ - ^
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