見出し画像

コノハナサクヤヒメ その強さと愛

「吾が妊(はら)める子、若し国つ神の子ならば、産む時幸くあらじ。若し天つ神の御子ならば、幸くあらむ。」とまをして、即ち戸無き八尋殿を作りて、その殿に入り、土以ちて塗り塞ぎて、産む時にあたりて、火をその殿につけて産みき。

古事記より、コノハナサクヤヒメ出産の一節です。


高天原から降り立ったアマテラスの孫ニニギに、逢初川で見初められ、一夜妻となったコノハナサクヤヒメ。ヒメはこの一夜の契りにより、御子を宿します。

自身が身ごもった事を知ったコノハナサクヤヒメは、天つ神の御子を宿したからには私事で産むべきではない、と、ニニギにこれを申し出ます。

しかしニニギは、ヒメが一夜契りで身ごもったことを信じられず、「これ我が子には非らじ。必ず国つ神の子ならむ。」と言い放つのです。

ヒメは、宿した御子が真実、ニニギの御子である事を証明するため、戸を塞いだ産屋に火を放ち、御子を出産します。


逢初川の出逢いの場面では「麗しき美人(おとめ)」と描かれ、父である山の神オオヤマツミも、美しさと儚さの象徴として、ニニギへ差し出したコノハナサクヤヒメ。

ヒメが決断した火中出産は、その儚げなイメージを覆し、コノハナサクヤヒメの内側にある、強い信念を感じさせます。


私は最初にこの場面を読んだ時、ヒメが火中出産をしたのは、自身の潔白を証明したいという、女の意地からだろうか、と思ったのですが、

今は、これは単に自分の想いを消化する為の意地からではなく、母として、生まれてくる御子への想いから、あるいはもっと高い視点で、これからの世界全体の為に、という想いからの決断だったのではないか、と思うようになりました。(結果として、この時の御子である山幸彦の孫が、奈良の橿原で即位する、日本の初代天皇、神武天皇となります。)


そう思ったのは、先日久しぶりに、コノハナサクヤヒメが祀られる都萬神社へ参拝した際に、境内の柔らかく優しい雰囲気の中に、凛とした、澄んだ空気を感じたからです。

美しさや儚さの中に、一本、すっと芯の通った、愛情深い女性が、ふと私の頭の中に浮かびました。


ところで、都萬神社のある西都市は、ニニギとコノハナサクヤヒメ にまつわる場所がいくつも残っています。


二人が出逢った逢初川。

画像2


コノハナサクヤヒメが火中出産した産屋があったと伝えられる無戸室(うつむろ)。

画像1


そしてコノハナサクヤヒメが、産まれた御子の産湯にしたと言われる児湯の池。

画像3

火の中での壮絶な出産の末、三皇子を授かったコノハナサクヤヒメ。

穏やかな眼差しで御子達を見つめながら、産湯を使う姿が浮かんでくるようです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?