コーエン兄弟バートンフィンク32a

『バートン・フィンク』徹底解剖~エピローグ後篇~「ヘイル、〇〇〇ー!」

とうとう本当の最終回だな。

終わるの寂しい?

何ならもっと書こうか?

全セリフ、全描写を解説してもいいよ。それに値する作品だから。

いや、もうええ。

映画『バートン・フィンク』の素晴らしさはようわかった。今回で区切りを付けて、次いこや。

そうだね。

未完のまま中断してるシリーズもたくさんあるし。

エピローグ前篇を未読の人は、こちらをご覧ください。

エピローグ前篇「大淫婦バビロン」

さて今回は、なぜコーエン兄弟がラストシーンで『猿の惑星』を引用し、「自由の女神像」を生きた女性に変え、あんなポーズを取らせたのかを考えてみよう。

あんなポーズっちゅうのは、例のポーズのことやな。

「なぜ」って、あれはホテルの部屋に飾ってあった写真の女の人のポーズでしょ?

単純に日差しが眩しいから、あんな風に手をかざしているんじゃないの?

「眩しいから手をかざした」がオチ?

そんな「夏ダカラ、コウナッタ」みたいな理由で済まされるか!

なんで「手かざしポーズ」を映画のフィナーレを飾るラスオチに使ったかを考えようって言うとんのや!

天才で変態のコーエン兄弟や、なんか意味があるに決まっとるやろ!

例えが古すぎるよ。

ここまで解説してきから十分わかっただろうけど、天才で変態のコーエン兄弟は、決して無意味なことなどしない。

ジョン・レノンやボブ・ディラン同様、この手の人はインタビューなどで「みんな深読みしようとするけど、特に意味はないんだ」とか言う傾向があるんだけど、そんなことは真に受けてはいけないよ。

天才がこういうことを答える時は「どうせ理解されずにまたオカシナことを書かれるだけだ。わかる奴にわかればいい」って思ってることが多いんだ。

確かにそうゆうこと言うアーティストいるけど、なぜあんたが気持ちを代弁する…

聞こえるんだよ、僕には…

本当に伝えたいことを理解されない天才たちの孤独な叫びが…

大丈夫か、この人…

なんちゃって。

さて、『バートン・フィンク』における「水着美女のポーズ」の意味について考えよう。

というか、結論を先に言っちゃおうかな…

あのポーズは…

<続きはコチラ!>


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