『バートン・フィンク』徹底解剖~エピローグ後篇~「ヘイル、〇〇〇ー!」
とうとう本当の最終回だな。
終わるの寂しい?
何ならもっと書こうか?
全セリフ、全描写を解説してもいいよ。それに値する作品だから。
いや、もうええ。
映画『バートン・フィンク』の素晴らしさはようわかった。今回で区切りを付けて、次いこや。
そうだね。
未完のまま中断してるシリーズもたくさんあるし。
エピローグ前篇を未読の人は、こちらをご覧ください。
さて今回は、なぜコーエン兄弟がラストシーンで『猿の惑星』を引用し、「自由の女神像」を生きた女性に変え、あんなポーズを取らせたのかを考えてみよう。
あんなポーズっちゅうのは、例のポーズのことやな。
「なぜ」って、あれはホテルの部屋に飾ってあった写真の女の人のポーズでしょ?
単純に日差しが眩しいから、あんな風に手をかざしているんじゃないの?
「眩しいから手をかざした」がオチ?
そんな「夏ダカラ、コウナッタ」みたいな理由で済まされるか!
なんで「手かざしポーズ」を映画のフィナーレを飾るラスオチに使ったかを考えようって言うとんのや!
天才で変態のコーエン兄弟や、なんか意味があるに決まっとるやろ!
例えが古すぎるよ。
ここまで解説してきから十分わかっただろうけど、天才で変態のコーエン兄弟は、決して無意味なことなどしない。
ジョン・レノンやボブ・ディラン同様、この手の人はインタビューなどで「みんな深読みしようとするけど、特に意味はないんだ」とか言う傾向があるんだけど、そんなことは真に受けてはいけないよ。
天才がこういうことを答える時は「どうせ理解されずにまたオカシナことを書かれるだけだ。わかる奴にわかればいい」って思ってることが多いんだ。
確かにそうゆうこと言うアーティストいるけど、なぜあんたが気持ちを代弁する…
聞こえるんだよ、僕には…
本当に伝えたいことを理解されない天才たちの孤独な叫びが…
大丈夫か、この人…
なんちゃって。
さて、『バートン・フィンク』における「水着美女のポーズ」の意味について考えよう。
というか、結論を先に言っちゃおうかな…
あのポーズは…
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