その後の祖母の容態

年末、祖母(93)は医師から

「今年いっぱい持つかどうか。生きられて2月までやろう。」

と告げられた。

あまりにも突然の宣告だったので、私は非常に動揺した。(それは前回のnoteに書いた通りだ。)

祖母のために何ができるだろう?

必死に脳みそを振りしぼった結果、次のことをした。

  • 孫達・ひ孫達の写真&オカクミのメッセージ付色紙のプレゼント

  • 祖母の大好きな柿をポケットマルシェ(農家から直接購入できるアプリ)で購入。

  • 祖母の退院時に親戚が集まることが見込まれたため、鍋用の蟹🦀をポケットマルシェで購入。

祖母は親戚が集まってワイワイした雰囲気が好きだ。

祖母が最期に「あぁ、楽しかった」と思える日々を過ごせるように願ってめちゃくちゃ奮発した。

ところが、だ。

孫の私が祖母のために何ができるか必死になって考え、行動している横で、母たち兄弟はケンカしていた。

内容は葬儀とか遺産とかそんなところだ。

そして叔母たちから、なぜか私の元へ苦情や問い合せが相次いだ。

  • 母への苦情  by叔母①

  • 叔母①とケンカしたからアンタにメールが行くかもしれない。無視しといて。 by母

  • 母と叔母①はなぜ口論になってるのか聞かせて欲しい。 by叔母②


従兄弟は他にもいるのになぜ私の元へ来るのか。

叔母①には

「私の問題ではなく、母と叔母①の問題です。
腹立たしいことがあるならA4用紙に気持ちをぶつけることをオススメします。チラシの裏でも構いません。」

と答え、母には

「叔母①に色々期待しすぎなんやない?」

と答え、叔母②には

「もう放置した方がいいよ。」

と答えた。

全くバカらしい話である。

そんなギスギスした雰囲気だったが、祖母が退院して顔を合わせた途端にあのケンカはなかったことになっていた。

そんなものだ。

肝心の祖母はというと、

食欲はあるものの食べすぎると吐いてしまうので、少しずつしか食べられない。

柿も本当は食べたいけれど、吐くのが怖いそうで、見て楽しんでいるようだ。

そうこうしているうちに、祖母は無事に年を越すことができた。

おととい病院で検査をしたところ、年末に真っ白になっていた肺が、何もなくきれいになっていたそうである。(腹水は少し溜まっているようではあるが)

もしかしたら2月も越せるかもしれない。

そんな期待を込めながら、神さまに感謝したいと思う。

神さま、ありがとうございました。

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