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第1回 #三行塾レポート ~大リーガー、目指します~

 近藤康太郎先生を講師に迎えたライター講座【三行塾】がはじまりました。

 学びを忘れず実行していくために、レポートを書きます。

「勇気がなくて、申し込めなかった」
「申し込み期限に間に合わなかった!」
 という方と、自分に向けて。

 わたしの器で受け取れたことは、ごくわずかであっただろうこと、主観に基づいたレポートであることを前提に、お読みいただけたら幸いです。


わたしが感じた近藤康太郎先生

 大勢の前で、こき下ろされたらどうしよう。
 
 三行塾 の初日は落ち着かなかった。講師は、朝日新聞編集委員であり作家としても著名な近藤康太郎先生だ。長年ファンだというライターの先輩も多い。そんな方のライター講座に、身分もわきまえず「添削付き」のプランを申し込んだのだ。

 不勉強なわたしが拝読したのは、多数ある著書のうちの一冊、『三行で撃つ 〈善く、生きる〉ための文章塾』のみ。たった一冊で大ファンになってしまった。ライティングの技法と学び方を、ここまで惜しみなく伝えてくれる本には出会ったことがなかったから。買ったばかりの本なのに、赤線だらけ。近藤先生の「書くこと」への真摯な姿勢に感銘を受けた。

 そして、めぐりあわせとは不思議なものだ。ほぼ読み終えたタイミングで、講座の開催を知ったのだった。

 即決で申し込み。山裾でうろついているライターに、こんなチャンスは二度と来ないかもしれない。しかし、自信はない。わたしのような未熟者が、参加してよい講座だったのだろうか。厳しい方だと聞く。

 「やめてしまえ」と言われたらどうしよう。(冒頭に戻る)

 けれども、心配は杞憂におわった。
 画面越しの近藤先生は、「すごい先生」と扱われることに居心地わるさを感じるような、シャイな一面をお持ちに見えた。トレードマークのアロハシャツとサングラス。恥ずかしがり屋の防護服でもあるのかもしれない。

 手加減しない、エース級の新聞記者に対するのと同じレベルで話すとおっしゃったのが、心底うれしく、心打たれた。
 そして添削は、本当に手加減がなかった。だが、恐れたような攻撃性はなく、厳しい指摘の裏には温かさがあった。

 正直、たった一度の講義で、ここまで鼓舞され高揚したことに驚いている。初回から、受け取ったものは計り知れない。いや、冒頭に書いたとおり、すべてを受け取れてはいないのだけれども。

「三行で撃ちたい」の落とし穴

 添削の際、まず指摘されたのは、大仰な表現が多いということ。各々が「三行で撃とう」と知恵をしぼった結果、リアリティの薄い大げさな表現が増えてしまったのだ。

・文章全体(文章で言いたいこと)に効果があるか
・言葉の重さと文章の内容とのバランスはよいか

 が、線引きの基準だと捉えた。

 こういった説明は書籍には書かれていなかったかも? と思って読み返したところ、ちゃあんと書いてありました。ただ添削があったからこそ、理解できたように思う。わたしのレベルは、こんなものだ。

起承転結で書く

 白状します。わたしは「起承転結」の型を使って、文章を書いたことがなかった。小説用の型だと、別枠で捉えていたのだ。だが近藤先生は書籍の中で、ライターがまず覚えるべき型だとおっしゃっている。

 わたしが最初に覚えたのは、「PREP」。SEO記事に適した、わかりやすく伝える型だった。
 次に学んだのは「三幕構成」。ストーリーにして面白く読んでもらう型だ(まだまだ勉強中)。
 では「起承転結」は……?

 講義を受けて、思考させる型なのではないかと思った。読者が思いもよらぬ方向に転じる。発見がある。一方ではライターも、自覚していなかった自身の価値観に気づく。生き方に、関わる型。

 

「転」が書けるライターは消えない

 「文章とは、転である」
 近藤先生は言い切った。続けて、
「転はAIには書けない」
 とも。その通りだ。転とは主張なのだろうから。

 わたしは、不安と希望を同時に感じた。
 しっかりと書けるようになるまで、どれくらいかかるのだろう。わたしにできるだろうかと疑ってしまう。
 けれどもまた、ライターを続けていくための核はコレだ、と確信を得られたような気がする。

走らせる文章

 ところで、わたしが最も心を掴まれた言葉は、さらりとおっしゃった一言だった。
「読者を苦労させてはいけない」とお話をされていたときのこと。音声の加減で聴きづらかったのだが、次のようなことをおっしゃった。聞き違いだったら申し訳ない。けれども、わたしの中で、経験と言葉が繋がった瞬間だったので記す。

「少しだけ読者を走らせて、ボールをキャッチさせたい」

 それ。
 『三行で撃つ 〈善く、生きる〉ための文章塾』を読んでいるとき、知らぬ間に、わたしも走らされていた。さらに、不勉強なわたしが走り続けられるよう、適切な場所に給水所があった。ごくごくと飲んだ水は、体中に染みる気がした。むさぼるように読んでいた。ランナーズハイめいたものを感じていたかもしれない。

 いつの日か、わたしも読者を走らせたい。走らせるとはどういうことだろう。感情を揺さぶり、読まずにはいられなくすること。自分なら? と問いながら、夢中で読んだ気がする。
 読者を思いやりつつも、思考を促せる文章。主張はあるが押しつけない文章。温かく心を動かす文章。書けるようになりたい。

 そのための初歩が「転」を書くために奮闘することなのだろう。良質な文章を書くには、人格の厚みが必要だ。わたしには、それがない。知識も表現もストックしなければならない。そのうえに、遊びも大切なのだという。
 経験がすべて。ここからは、仕事、勉強、遊び、一つもおろそかにせず、書くための糧とするのだ。おそろしい。今からでも間に合うの? モノになる保証もない。
 
 間に合う、間に合わないではないんだよ、と言われた気がした。よきライターを目指して奮闘したなら、少なくとも人生は豊かになるはずだ。

 大谷翔平に憧れた子が大リーガーになって
「大谷選手を目指して、ここまできました」
 と述べる未来のように、
「あの講座を糧に、ここまできました」
 と、近藤先生に伝える未来を想像した。

 うん、このポジティブさだけは、持ち続けよう。

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長文を読んでくださり、ありがとうございました!

ライターとして身を立てたい方はぜひ、『三行で撃つ 〈善く、生きる〉ための文章塾』をお読みください。人生を考えるきっかけとして。


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