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子どもと仕事にまつわる私の履歴書

こんにちは。おかきよです。
子どもが作れずつらかった30代、離婚、再婚、高齢出産を経て、ライターをしています。失敗だらけの人生で、まわりにも迷惑をたくさんかけてきました。今日は勇気を出して、そんな私の歩み(30歳以降)を書いてみます。

私と同じく悩み多き方の背中を押せたら嬉しく思います。
よろしければお付き合いください。



結婚と別れ

初婚は32歳。
複雑な生い立ちを持つ人で「幸せにしてあげたい」と心から感じた人でした。しかし結婚生活は、順風満帆とはいえなかったのです。

一番の要因は子どものこと。結婚前から子どもがほしいと話してはありました。けれども彼は、子どもができたら暴力を振るってしまいそうで怖いと言いました。今まで我慢してきた分、自分のためにお金を使いたいとも。

仕事を転々とし、時には鬱の診断書を取って長期で会社を休むこともありました。
——私も働いているから大丈夫。もう少ししたら落ち着くはず。
そろそろ子どもを作らない? とは切り出せず、宙ぶらりんな気持ちのまま時ばかりが過ぎていきました。

変化が起こったのは、結婚から6年過ぎた日の彼の一言から。
「東京都内のマンションを買いたい。ついて来られないのなら離婚する」
反射的に
「じゃあ離婚します」
と答えていました。彼の希望でガレージつきの注文住宅を建てたばかり。まるでおもちゃに飽きたらポイッと捨てる子どもです。自分の言葉に驚きつつも、妙な安堵感がありました。
——そうか。私はこの人から離れたかったんだ。

私は家庭のために大好きな仕事をあきらめた(後ほど書きます)のに、この人はそれを感じていない。そして、子どもについても真剣に考えてはいないのだろう。何より「離婚」を取引条件にする人と長い人生をともに歩んではいけない。
そんな風に感情を整理できたのは、すこし時間が経ってからでした。

お付き合いを合わせると約10年。彼のことは嫌いにはなれません。
ただ「幸せにしてあげたい」などと考えた自分は不遜だったなあと。私にそんな力はなかったのだと。そして誰かを幸せにするよりも、私自身が幸せになりたいのだと気づいてしまっただけでした。


職探し

初婚時は、彼の育ての母と同居していました。早く帰れる仕事に変えてほしいと乞われ、残業不要という条件で転職。小さな制作会社の営業をしていました。働くことは好きですし、お給料分の務めは果たそうと頑張っていましたが、大好きな仕事というわけではありません。それに独り身になった今、いつ潰れるかもわからない会社では困ります。転職活動を開始しました。

狙ったのは、
「大手企業の正社員」で
「好きな住宅やインテリアに関わる仕事」
贅沢ですよね。けれども、ここで妥協したら人生転落すると思いました。

——もしも再婚できなかったら、独りで生きていかなければいけない。安定していて、自分が楽しく働ける職場をみつけたい。

しかし案の定、転職活動は難航。年齢に見合うキャリアがなかったのでしょう。書類審査で落とされることがほとんどでした。せめて面接までいけたら、と痛切に感じたキツい時期でした。


転職

為す術もなく半年ほど過ぎた時、神さまから救いの手が差し伸べられました。昔の同期に悩みを相談したところ、
「うちの会社、新しい部署ができて営業を募集してるよ」というのです。彼女の紹介で面接を受け、無事採用いただくことができました。

10数年越しの出戻り転職。気まずい思いもありましたが、図太くいくことにしました。それ以外には生きていく道がなかったからです。謙虚な気持ちでゼロからスタートしよう、ご恩は仕事で返そう、という気持ちでいました。

ところが新しい職場には女帝がいて、しばらくは嫌~なイジメにあいました。私の歓迎会の2次会は私ぬきで催されていましたし、紹介物件をひとつも回してもらえなかった時期もあります。けれどもこの仕事を逃したら後はありません。淡々とスルー。職務を果たすことだけに集中するうち手を貸してくれる人が増え、次第に馴染んでいきました。


婚活

転職活動と並行し、婚活をしていました。まず旧姓にもどした名刺を配り、シングル宣言。仲のいいお客さまには、よい人がいたら紹介してほしいとお願いしました。

営業ネットワークを生かした婚活です(笑)。
自分にこんなにガッツがあるとは思っていませんでしたが、38歳の私には猶予がなかったのです。
——子どもがほしい。どうしてもあきらめたくない。
きっとうまくいく! と信じていました。そうそううまくはいきませんでしたが、前に進めない袋小路からは解放され、頬をなでる冷たい風を心地よく感じた記憶があります。


2度目の結婚と出産

今の夫とはテニススクールで出会いました。フリーなのだから好きなことをしようという気持ちに加え、あわよくば素敵な人に会えるかも、などという不純な気持ちで入会しました。

つきあい始めてからは猛アプローチ。
「子作りを考えると結婚は早い方がいい」
と詰め寄る私に、ロマンチストな彼は完全に引いていました(笑)。つきあって1年で結婚、ありがたいことに翌年に妊娠できました。

そして恩を感じていた会社を3年で辞める選択をしました。忙しい職場で身を削って帳尻を合わせていたところ、通勤中お腹に激しい痛みを感じ、もしも赤ちゃんになにかあったら……と思うといてもたってもいられなくなったのです。本当に申し訳ないけれども、この際とことんわがままになろう。紹介してくれた同期と、採用してくれた部長には誠意をもってお詫びしました。


出産~3歳まで

息子が生まれた日の感動は忘れられません。
すやすやと眠る新生児は神々しくすらあり、自然に涙がこぼれました。

ところがそんな感動もどこへやら。
退院後に感じたことは
「これはえらいことになった」
でした。

寝かせて食べさせる。それだけで精一杯。うまくやれるんじゃないかと感じていた根拠のない自信は見事に打ち砕かれました。
夜の授乳、離乳食、トイレトレーニング…
必死の毎日が過ぎていきました。


息子3歳~現在

息子が幼稚園にあがると、ホッと一息つく時間ができ、再び仕事をしたいと思うようになりました。働くことが好きなんですね。年長さんにあがる春、クラウドソーシングに登録。昔から文章を書くことが好きだったので、ライターとして活動を始めました。

ところが小学校入学を控えたころ、このままでこの子は大丈夫だろうか、と危機感を感じてしまったのです。

泣き虫、失敗をおそれて挑戦しない、勉強できない、運動できない。
書いていてちょっと悲しくなりました。しかしこのままでは、私がつきあいたくないオトコNo.1。もちろん、よいところも沢山あります。でも、とにかく逞しく育てなければ!!!

息子とガッツリ向き合っていく覚悟を決めました。

私は不器用なので、仕事があると日常生活をおろそかにしがちです。夫や息子の問いかけに上の空で返事をしてしまうこともしばしば。できるだけそんなことがないよう、「主婦業8割、仕事2割」。
仕事は量をセーブして、質の面では手を抜かない。クライアントと家族に迷惑をかけないためのルールを決めました。

以上がこれまでの歩みです。
思うようにいかないことだらけですが、ジタバタして行こうと思います。

ここまで読んで下さり、ありがとうございました。よろしければ、スキとフォローをお願いいたします。

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