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2023年J1第5節横浜FC-京都サンガF.C.「ぜんぶ雨のせいだ」

降りやまない雨って、、、

雨の中の試合となったが、蓋をあけてみると京都は雨の中での消耗戦を避ける意味でロングボールを京都・パトリック、木下に合わせる戦いで、激しく前線から追い込みにかかるサッカーを想定していた自分にとってみたらやや意外だった。前半10分に先手をとったのは横浜。左サイドにいた長谷川のクロスを小川が押し込んでネットを揺らした。これで今シーズン4ゴールでスコアランキング首位を走る。昨年何度も見た長谷川から小川へのホットラインはこの日も再現された。

これで前半は終わらずコーナーキックからパトリックに決められると、後半開始早々には木下に持ち込まれて、放たれたシュートは岩武の足に当たりコースが変わって逆転ゴールとなってしまった。その後は、パトリックに代わって入った山崎に、コーナーキックの同じ形からヘディングでゴールを許したばかりか、極めつけの4点目はボニフェイスのオウンゴールで、雨音だけが静かに漂うだけの三ツ沢になってしまった。ボニフェイスはオウンゴールはともかく、コーナーキックはファーの選手がポケットを作って開けたスペースに本命が飛び込んでくる同じやられ方をしており対応に工夫がないと言わざるを得ない。あるいはセットプレーの分析が甘いのか。
岩武の足に当たって逆転を許したゴールにしても、打ってこないと思っていたからかペナルティエリア内で間合いを取って対応していたのが仇となった。それが通じるのはJ2までなのだ。

せっかくの先制点が完全に萎んでしまう守備の軽さ。これは雨のせいなのか。ゲームはそのまま1-4で終了。後半になればなるほど京都は元気になった。前半は省エネで放り込むサッカーをしていたと思ったら、後半は横浜の体力が落ちたこともあって奪いに行くサッカーを展開。後半横浜にチャンスは殆どなかった。希望がある、困難の先に未来がある、そういう表現を降りやまない雨はないというが、この試合に限って言えば試合が終われば雨は途端に止んでしまった。余韻もなにもない。負けてずぶ濡れで、止みそうもない空見上げて悔しそうな顔をしているサポーターがいたら絵になりそうなものだが、苦しんでいるのはこのゲームの90分前後の話だと思うと降りやまない雨はないなんて表現は大げさな言葉に感じてしまう。今が苦しくて約束されていない将来を信じる自分がかわいいだけではないのだろうか。

柱を失う

GK永井は後半京都のコーナーキックに対応した際、着地した左足首を強く捻ったようで交代となってしまった。「永井堅梧の梧はアオギリと呼び、支える柱の意だ」と、その日のマッチデープログラムにあったのだが、その柱が交代となってしまった。主将のガブリエウも長期離脱中。永井も足首の負傷となると内容によるが数週間は厳しいだろう。ボールをつなぐサッカーに転換したが、そのボールをつなぐための柱となったメンバーが抜けているが、それでも貫くのか。

屋根のない三ッ沢、柱のないチーム。新しいことに挑戦しているからリスクはあるし乗り越えた先に大きな未来があるというのは、文字の中、物語の中だけである。私は自分の思い半分、プロット半分で書いているからこうした言葉も言える。仕事の場で、プロジェクトの根幹からひっくり返ることがあっても「降り止まぬ雨はない」なんて言うメンバーがいたら、頭を疑う。選択肢を選ぶのはクラブであり、チームであるが、こうしたことのリスクは考えていなかったのだろうか。つなぐサッカーの為に永井を加入させたはいいが、長期離脱した場合はどういうサッカーになるのか。市川も一時期よりはキックはよくなったが、正直足元が良いGKではないので同じサッカーは厳しい。緊急事態の閾値は感覚的にもっていてそれにまだ達していないのか、緊急事態でもそれを貫くのが今年の横浜なのか、多少の緊急事態はあってもこのメンバーなら乗り越えることが出来ると判断しているのか。
前線の選手は錚々たる顔ぶれで実際徐々に攻撃はサイドの切り崩しも含めて形になってきた。特にこの試合は危ないシーンがあると大きく蹴って前線の選手が収めたり、奪われたところからプレスを掛けられたりと改善の兆しはあった。
課題は中盤で相手を剥がすことができるのが、あくまで個のスキルでしかないところだ。長谷川も昨年は突出した選手だったが、J1になればスペシャルな選手ではない。三田も思ったように前を向いてチャンスを作り切れていない。攻撃は可能性は感じるがまだまだ細い。

雨、雨、雨

三ッ沢には屋根がない。雨の試合となれば、ごみ袋を持って集合。できるだけ濡れない準備、濡れてもよい準備をしないといけないので、着替えが増えたり靴下や下着も持ってきている人もいるだろう。(当の自分も雨の三ツ沢では下着の替えは持参している。雨そのものによる着替えもあるかもしれなし、その後寒くなって銭湯などで結局着替えることも想定している。)この解決はいつになるのだろうか。
翌日に行われたYSCC-松本のゲームの観客動員が、この横浜京都の観客動員を上回って話題となった。気象条件が異なったり、アウェイチームの動員、例えば優勝がかかったり、昇格がかかったりとそのゲームの重みなどもあるので一概にどうとは言えない部分があるが、他者との比較ではなく過去の横浜の歴史と比較しても、これは芳しい数字とは思えない。昨年も例えば前半戦にあったFC琉球戦は2,508名と散々な数字である。2007年のヤマザキナビスコカップでは2,007名を記録。そこから10年以上経過しても1,000名程度しか増えていない。
昨年10月の大分戦は昇格レース真っ只中で大分が生き残りをかけて挑んできた試合で7,961だった。実際の販売数は10,000以上だったというから、それだけ雨が行くのを断念させる力があることが分かっているのだから、取る方策は2つしかなくて、雨で来場しなくなったサポーターをリカバリできるだけの圧倒的な数のサポーターを集めるか、雨でも快適に観戦できる環境を整備するか。後者はスタジアムの関係で現状難しいというのであれば、サポーターはどう増やしてきたのだろうか。雨が降った際のベースになる動員数をどう伸ばそうとしてきたのか。そこにいきつくにはどうしたらよいのか考えてきたのだろうか。雨の中観戦ありがとうございました。お気をつけてお帰りくださいチャンチャンでは人は増えない。雨だったけど、実際は〇〇枚販売していたんですって免罪符にしてはいけないだろう(そのつもりがなくても、その数字だけ出すと観客が少なかった時のエクスキューズに感じてしまうものだ)。観戦体験の向上を謡うのであれば、この問題の優先度を高くすべきだと思う。
条件も違うし雨だと仕方ないよね、で止まらずもう一つ先を考えてみたい部分ではある。過去ゴミ袋を配布していたけど、やはり対症療法でしかなく大きな荷物を持ってきている人には厳しい。バックスタンドやメインスタンドにモニター並べて試合を放送できないものかね。2015年のラグビーワールドカップでウェールズに行った時に、ちょうど小雨のゲームとなった際にコンコースでのテレビをみんなで見ながら飯食っていた気がする。放映権とか色々あるんだろうけど、コンコースで試合を流せばいいと思うんだけどね。

その逆で今の横浜は三ツ沢の雨はクラブの価値やサポーターの観戦体験価値を大きく棄損していると言っても過言ではない。

雨だからスキルの差がはっきり出て負けるのも仕方ないし、観客動員も下がるのも仕方ない。客が増えなければ物販は売れないのも仕方ない。雨の影響で花見ができなかったのも仕方ない。
10年ほど前に、「ぜんぶ雪のせいだ」というキャッチコピーでJR東日本がCMをうっていたが、「ぜんぶ雨のせいだ」といえばいいのだろうか。雨の日は、気圧が低くて自律神経に影響もある。リラックスできずイライラすることが増える。この試合の敗戦を受けて選手やチームへの批判がさらに増えているという。やっぱり雨だとそんなもんなのかな。こういう日は、「すべて雨のせいだ」と楽な方に逃げてもいいじゃないのかな。改善点なんて決まっているでしょ。屋根と柱をつけてよ。「ぜんぶ雨のせいだ」から。


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